「ウラカタ伝」

ふだん表に出ないけど、面白そうなことをしているひとを呼びとめ、話を聞きました。

あえて王道を行かない人生 ──写真家になるために不動産販売会社に就職しました。

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【わにわにinterviewウラカタ伝⓼】
ちょっとミョウな「夫婦」写真を撮りためてきた、キッチンミノルさんに聞く【3/3】

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インタビュー・文=朝山実
写真撮影 © 山本倫

(2017.2 銀座キャノンギャラリーにて)

最初から読む写真のチカラ ──あるいはイッセー尾形とキッチンミノルのカンケイ

前回を読む☞ぼく、モアイ像が好きなんですよ。

 

写真家・キッチンミノルさんのインタビューの最終回。じつはキッチンさん、写真家になる前はマンション販売の営業マンをしていたそうで、宅地建物取引主任者の資格も取得しているとか。遠回りして現職にたどりついたかのようだが、そうでもなく…という話をうかがいました。

 

キッチン南海とかあるでしょう」

 カタカナ名前の由来を問うと、なんとなく「キッチン」という響きに惹かれたらしい。名前を覚えてもらいやすい反面、「この名前にして、センパイの写真家からは反応は悪いです」とも。

 大学では「都市計画」を専攻したものの、「そこしか受からなかったから」と就職氷河期に卒業、就職したのは不動産販売会社。かなり優秀な営業マンだったという。


──写真の仕事と不動産販売の営業というのは、ずいぷんかけ離れている印象なんですが?

【キッチンミノル(以下略)】 そうでもないんですよ。こう言ったらなんですが、不動産屋に来る人って、たいていウソをつくんです(笑)。年収を多めに言ったり、極端な言い方をすると、こちらのことを基本的に信用していない。そうした初対面で疑ってかかってくる人を信用させないといけない仕事なんです。

 

──たしかに、そういうところあるでしょうね。引っ越しの最初の頃は、不動産屋さんのドアを開けるとき身構えていた記憶があります。


 わかります(笑)。それで僕は、たとえば40代で買おうとしている人には、『将来の介護のことも考えにいれておいたほうがいいですよ』と話しかける。そういうふうに未来を予想しないとマンションは売れない。『10年後、どうされていますか?』と聞いたりしながら、合ったものを勧めていました。

──逆に、そういう心理の裏を読まないと、写真家もダメということですか?

 ダメかどうか、それはわからないですけど、営業マンはそうですね。写真を撮るときも、『このひとはプライド高そうだな、だったらこういうふうに頼んでみようか』とか。そこは営業マンっぽいかもしれない。



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 キッチンさんは、相手を身構えさせない。たとえば写真展の会場でのこと。インタビューの途中、ふらっと入ってきた外国人のふたりが近づいてきたのに合わせ数歩、歩み寄り、おもむろに写真の説明をする。たとえば服屋に入って、すぐに店員さんが声をかけてくると居心地が悪かったりするが、間合いや物腰が自然でいい感じだった。

──話し方は、営業の仕事で身につけていったんですか?

 どちらというと、もともと持っていたものだと思います。僕は片親なので、親戚の中でも、いつも肩身が狭いんですよ。父親の家に行っても、ちがう家族がいるし。そういうので、人を見るという力はついていったと思います。あと、営業はセンスですね。もちろん、育っていくところもあるんですけど。

 

 黒づくめでオシャレに見えたキッチンさん。上着もスボンもまったく同じものを十着、一度に買うのだという。


 取材のときの服とか選ぶのを考えますよね。どういう格好をしていったらいいか。とくに一般のひとを撮るときには。それで、毎日同じ格好になったんです。

──というと?

 一言でいえばメンドクサイ、選ぶのが。あと、毎日違うひとに会うので、毎日ドキドキして服を選ぶのなら、いちばん好きな格好をしていたらいいかと思ったんです。


──へー、そうなんですか(笑)。

 そうなんです。ハハハ。だから、もう制服みたいなものですね。

──いま着られている黒のセーターも同じものを?


 セーターだけは、三着しか同じものは持っていないです。靴も三足、定番のものを。メガネも同じものにしようとするんですが、なかなかなくて、なるべく同じものを選んでいます。

──普段着は?

 仕事の境目がはっきりしないので、普段着もこれです(笑)。

──選ぶポイントは?

 第一に、丈夫かどうか。よく寝転がったりして撮るので。次に、買いなおせるかどうか。あとは、カタチ。動きやすいかどうかです。
 このズボン、じつは植木職人用なんですよ。


──定番の作業服。あ、腰のところ。


 そう。ちょっと名前を刺繍をしてもらって(笑)。同じものにする理由は、常にひとの家に行くので、汚い格好はできない。そうすると、汚くなったときの捨て際がわからない。そういうこともあって同じスボンを5本買ってしまうんです。

──いっぺんに?

 はい。

──ちなみに奥さんはそういうキッチンさんを見て何か言ったりはするんですか?

 うらやましいって。悩まなくていいから(笑)。


──では、カメラは?

 カメラも変えないですね、ずっとニコン。でも、せっかく今回キャノンでこんなによくしてもらっているので、いま新しいものを買おうかと思ってカタログをもらったところです。義理と人情で、一回ためしてみようかと(笑)。

──ふだん使っているのは?

 ニコンのD5。ニコンの最上級機種で、いちばんいいのがいいんだろうと。

──なるほどね(笑)。

 

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──前職は、大学を卒業して不動産販売の会社に勤められたという話でしたが、電話営業をされていたそうですね。

 基本的には、来られたお客さんの接客が仕事なんですが、そうそう来ないですし、下っ端だったので。というのも、やって来られるお客さんは折り込み(広告)を作ったりして、すごい広告費をかけたお客さんなので、そういう大事なお客さんを新人にまわさないんですよ。だから、自分でつかまえろということなんです。

──それで電話なのか。でも苦手だったんですよね?

 だから、早く電話営業をやめたくて、朝の10時から夜の10時過ぎまで毎日、電話をかけまくったんです。もう毎日、ホント、行きたくないなぁと思いながら。

──やめたいとは?

 カメラマンになるために入った会社なので、やめられないと思っていたんです。不動産屋に就職する時点で、カメラマンになると決めていたので。

──カメラマンになるために不動産屋ですか?

 大学はふつうの大学(法政大学。部活はカメラ部だった)で、就職活動のときにはすぐにカメラマンになることはではきないと思っていたのと、就職氷河期で就職活動をやっても、あまりに決まらない。『自分は何をやりたいんだ?』と考えたら、写真だと思った。
 でも、そのときはカメラも持ってなくて。大学は奨学金で入ったので、それを返さないといけないし、いちばんお金が儲かるところは何かと探したら不動産屋だったんですよ。

──仕事の向き不向きとか、やりがいとか、ではなくて。

 まったくないです。早くお金を貯めたくて。当時、初任給が26万円。歩合制で売れたらそのぶんお金が入る。じゃあ、頑張るかと。
 電話営業というのは、次々と電話をかけるんですが、最初は話が続かない。とにかく0000から順に9999までかけまくる。会社だと、5件くらい会社が続いたりする。

──挫けませんか?

 こう見えても、くじけるタイプです。だから、早く終わらせたくて、ひたすらかけまくるんです。仕事は何でもそうなんでしょうけど、売れるまでは本当につまらない。けれども、売れはじめると不思議と面白くなってくるんですよ。

──売れたら面白いというのはそうでしょうけど、売れない間はどうやって毎日、自分を維持していたの?

 電話をするのは嫌なんですが、そのぶんトライ&エラーで、収穫はある。こういう言い方をすると電話を切られたから、次からはこう言おうかとか。同じことの繰り返しのようでも、細かい向上心はあるんです。

──なるほど。

 あとは勉強して、どうやったらお客さんが食いついてくるかを考える。
 四月の研修のときに、電話営業で初めて売ったお客さんが、自営業のひとだったんです。『おれは、マンションなんか買えないよ』と断られたんですが、話していると息子さんが自衛隊だと、ポロッと。『だったらローン組めます!! 大丈夫です!!』って。
 親子リレーというのがあって、自衛隊だったらぜったい審査は通るので、『いまからすぐに伺います!!』って。
 勉強した知識が生きてくると楽しいですよね。あと、法律のことや金利はいくらとかという話になったときも、これはこうだからと説明する。


──そういう勉強は、勤務外の時間で?

 そうですね。始業時間より早く会社に行ったりして資料を見たり、先輩が成約しているのを見て、『早いですねぇ、センパイ』『いや、これはこうこうでさぁ……』と教えてもらいました。日曜日にはその先輩についたりして。といふうに、いろいろやってはいるんです。

 

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──なるほど、カメラの撮り方と地道な向上心は通じているのかぁ。端っこのところを見逃さないあたりも。

 性格もあるんでしょうけど。会社ではいちばん下っ端だったので、いつもモデルルームとかの掃除をさせられるんです。そういう掃除している間に、『ドアのスムーズな開け方』の練習をしてたりするんですよ。

──なんだかイッセー尾形の芝居の「バーテン」のネタみたいですね。お客が来なくてヒマにしているときに、ひとりで接客の模擬練習していそうな。

 そうそう(笑)。ちかいですね。もちろん、ほかのひとはふつうに掃除してるんですけど、僕は後ろ手でスッ、とドアを開けられるよう何度も練習している。成績のいい先輩とそうでない先輩の違いは、見ていたらそういうところに出るんです。

──ドアの開け閉めに、ですか?

(成約前の)マンションのドアというのは安全装置がかかっていて、それを後ろ手でさっと開けなきゃいけないんです。


──後ろ手で?


  お客さんは、もともと疑心暗鬼な気持ちで見に来ていますから、そういうひとの前で、ドアを開けるのにマゴマゴしていると、『何やっているんだろう?』となるでしょう。だから、後ろ手で開錠して『はい、どうぞ』と。そうするとお客さんは、中の風景しか眼に入らない。

 売る人(成績のいいセールスマン)は、みんなそういうのをすごくスムーズにやっている。そんなのは、契約が成立したらどうでもいいことなんですが。でも、これからというときには、ひとは、むしろそういうところがすごく気になるんですよね。

──そっかあ。たしかに、こないだ転居したときの不動産屋のお兄さんは、ササッとカギをあけていましたね。若いのに店長だって言っていたけど。

 そうなんですよ。どうでもいいことは実はどうでもよくない、どうでもいいことをよくしておくというのは大事なんです。
 それで僕は一件売れたあと、先輩に『もう電話営業はしたくないので、ほかの方法でやりたいんです』と言って、それからは電話営業はやらなくなったんです。

──ほかの方法というのは?

 電柱に、チラシの入った封筒をさげるんです。

──ああ、あれね。

 まだ当時は、誰もやっていなくて。自分では最初にそれを考えたつもりだったんですけど。それで、お客さんが来るようになって、来たら僕が担当できるじゃないですか。そこから売れるようになっていったんですよ。

 

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 さて、ここからはまた写真の話に戻ります。ノウハウつながりといえば、そういえなくもないけれども。
「こういうのを使うんですよ」と見せてもらったのは、葉書サイズのカラーの紙焼き。写真を大きくプリントする前に試しに焼いたものに、焼きこみの明暗を指示するのだとか。素人はなんとなく見ている「明暗」も、目線の誘導につながる重要なポイントだという。


 たとえば、黒いところに、ポツンと白い点があればそちら目がゆくでしょう。カメラマンがよくティッシュペーパーの箱があるとどかすのも、あれは白いから目だってしまうからなんですよ。

──そういえば何度か取材の現場で、「生活観があるのに、なんでどけるんだろう? そのままでもいいじゃない」と思ってきましたけど。

 カメラマンの好き嫌いだけじゃないですよ。白いとデーターがスコンと飛んでしまう。意図していない方向にいってしまうんです。

──そういうのは経験で学ぶんですか?

 そうじゃないですか。だれもそういうのは教えてくれないと思いますから。僕はもともと写真学校にも行っていないし誰にも教わってこなかったですけど。

「写真学校ではそういうことは教わらないですよね」と、カメラを手に静かに聞いていたカメラマンの山本さんが思いきりうなずいた。「自分で撮った写真を見て、わぁっ!!失敗したとなって覚えるんですよね」という。

 ですね(笑)。みんな、そういう痛い目を経験しながら知識を身につけていくんですよ。そういうのは、経験を積んだら終わりというのでなく、いまでもいっぱいありますから。

──そうなんだ。はじめて知りました。この仕事を始めて30年近くなるけど、カメラマンと仕事をする機会はさんざんあったのに。

 ティッシュって、写真になると真っ白く背景がボケちゃうんですよ。なんだろう、この白いかたまりはってなってしまうんですよね。

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 ☝写真集の購入者にサインをする。「御朱印」のような判子も


 最後に定番の質問をした。
 
──キッチンさんのいちばん古い記憶を教えてくれますか?

 ……母親と父親が喧嘩している。たぶん二歳か三歳くらいだと思うんですが、あまりにひどくて止めた。そのあと別れるんですけどね。

──両親が離婚する前の記憶?

 そうです。ほとんど家に帰ってこなかった父親だったんですが、口論になって先に兄貴が止めに入って、『俺たち、止めに入ったよ』と自慢したのを覚えています。
 アメリカから帰ってきてすぐだったんじゃないかなぁ。

 離婚は日本に帰ってきてからで、その瞬間の記憶があるだけ。そのあとどうだったかは抜けていて。記憶しているのは、新しい家が坂の上にあって、そこを上っていく風景だけがあるだけです。

──大人になって、アメリカで暮らしていた家を訪ねて行かれたんですよね。

 生まれたのはテキサスなんですが、2歳で日本に帰国したので、むこうの記憶はまるでないんです。
 訪ねて行ったのは、30歳になる前。僕は、片親だし。韓国系アメリカ人の父と日本人の母とのハーフで、日本に風土の何かを感じしているわけでもないし。なんだか苦しくなって、ルーツを観に行こうと思って行ったんです。



 キッチンさんには家の記憶はなかったが、住所をもとに探し出した。父親は後に再婚し、日本で別の家庭を築いている。遠路訪ねて行ったテキサスの家には、まったく知らない家族が暮らしていたが、事情を話し、家の中を見せてもらうことができたという。


 親父が建てた家がそのまま残っていて、皿洗いをしているところとか、親が離婚しなかったら、ここに住んでいたかもしれない、というのを写真に撮ったりしました。
 アメリカはルーツ探しが好きな国で、住んでいるひとにちゃんと説明したら、入ってもいいよと言われた。
 最初は怪しまれましたけど。名前を言って、父親の名前を言ったら、聞いたことあるなぁって。『こっちに来てみろ、おまえの親父がつくった暗室が残っていたぞ』とか言われ。

──お父さんも、写真をやられていた。

 

 そうなんです。父親も趣味で写真をやっていたんです。そういうことがあって、なんとなく俺の中ですっきりした感じがあったあとに、『AERA』でこの夫婦の連載(写真集『メオトパンドラ』のもとになった)をしないかと声がかかったんです。

──そこでつながるんですね。
 では、次の質問。一番は答えずに、二番目にいまキッチンさんが「大事だ、大切だ」と思うもの、コトは何ですか?

 二番ですか……。(ふっ、と笑う)あ、いや、浮かばないなぁと思って。一番は、『家族』か『生きる』ということで、それが同列で、それ以外はどうにでもなるというか(笑)。

──わかりました。三つめの質問。最近ちょっと嬉しかったことを教えてください。

 最近……、味醂を入れるとちょっと美味しくなるというのを発見したことですかね。
 いままで塩と醤油だったんですが、小松菜と豚肉を炒めて、醤油と塩に味醂を足したら美味しくなって、キタぁーと(笑)。それまで、甘いのはあまり好きじゃないなと思って使わなかったんですよ。

 料理人をけっこう取材しているんですが、そういえば砂糖を入れるのをあまり見たことがなかったんですよね。


 キッチンさんは仕事柄、料理人の手つきをよく見る。おかけで肉の焼き方には自信があるという。じつは料理雑誌の写真撮影が、キッチンさんのもう一つの仕事の柱になっているというのをこのとき初めて知ったのだった。

 
 名前のおかげで仕事が来るようになったんですが、僕が料理を撮っていることを知らないひとは多いんですよ。逆も多くて。料理のひとは、僕が人を撮るというのを知らなかったりするんですよね。


 会話しながら会場に置かれていた『dancyu』誌に掲載された料理の写真をめくってみる。

──美味しそうに撮るコツは? 光ですか?

 そうですね。あと、自分が美味しいと思うことが大事ですね。いちおうプロなんで、見たようには撮れるんですよ。

──それは本棚を撮るのに似ていますか?

 そうですね。その存在感を出そうとすることでは。

──料理を撮るのは、楽しい?

 楽しいです。


 コーヒーをドリップしていて、泡が立ち上がる。匂ってきそうな写真がある。撮り手の存在などは写真に写りこんではいないにもかかわらず、個性というか我のようなものが感じられた。
 

 王道は目指さない、というのは決めているんですよね。だから、料理雑誌の依頼があっても、僕はメインの何ページものを飾るんじゃなくて、2ページくらいの気分を変えたいくらいのがいいんですよ。

──写真は、だれかに教わったということは?

 杵島隆(きじま・たかし)先生にお世話になりました。日本の写真界をつくったようなひとです。あるとき、壇ふみさんを撮影するというので呼ばれてついて行ったんです。
 露出を計ってこいと言われ、いくついくつですと言ったら、ポラが真っ黒で『すみません、もう一回』というのを五回くらい繰り返し、もうそれだけで30分。これが先生だから『すみません』なんですが、師匠だったら完全にアウトですよね。ついてきたやつだからというので、ちょっと許される感が(笑)。


──先生の弟子になるということは?

 にはしないと言われていましたから。『会社やめてきました』と言いにいったら、弟子にはしないって。ええっ!?ですよ(笑)。仕事は自分でとってこないと。だから自分で営業して、仕事をもらうときもコネじゃない。

 

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 アテははずれたにしても、それはよかったんじゃないか。あえて王道を歩まないというのも。ワタシが言うと、キッチンさんは「そうですかね」と笑い返した。
 ところで、キッチンさんが撮る夫婦の写真には一枚も「笑顔」の写真がない。なかには、不機嫌に映るものすらある。だからこそ印象につよく残りもするのだが。そのナゾについて、インタビューを終えようとするときに聞いてみた。

 
 僕は、夫婦になるまでは、ふたり別々に歩んできた歴史があって、あえて無表情に撮ることで、二人になってからの歩みが表情に出てくるように思うんです。
 よく、二人して笑っている写真があるでしょう。でも『笑う』というのはいろんなことを隠してしまうんですよ。とくに家族の写真だと。
 家にいて、笑うというのは、そんなにはないでしょう。さらけ出したいときは『笑う』じゃない。僕はそう思うんです。


──そっかぁ。キッチンさんの写真を見たときの違和感は、よく見慣れている「笑顔」がなかったからかもしれないな。無表情の人形のように思えたりもするのも。でも、「写真集にある100組中、笑顔は一枚もない」というわけではなく、例外がありますよね。


 そう。政治家だけは、口を閉じていて、無表情なのに笑顔になっているんです。笑顔は政治家の特性なんでしょうね。意識せずとも、自然とそうなってしまう。そういうとき、僕はそれが逆に本性が出ていると思って撮るんですよ。


 なるほど。大勢の中に、混じっているからこそ「職業」が顔をつくる、個別性というか特殊性も赤裸々になるということなのか。何度か目にして、そのたびに見るこちらの興味で、見え方が変わる。どうにもヘンな写真たちだ。


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☝多忙の噺家の「一日」を「一年間」それも「一日中」追いかけた写真集。3月下旬発売『春風亭一之輔の、いちのいちのいち』(小学館)の写真ファイル。

【おわり】

 

キッチンミノルさんの作品の一部が見られるアーカイブgallery | KITCHEN MINORU|キッチンミノル|PHOTOGRAPHER

◫キッチンミノル「メオトパンドラ」写真展は、2017.3/9~3/15大阪・梅田キャノンギャラリーにて開催

 

メオトパンドラ

メオトパンドラ

 
 

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