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わにわにinterview「ウラカタ伝」 (わにわに伝)

ふだん表に出ないけど、面白そうなことをしているひとを呼びとめ、話を聞きました。

ぼくは、メガホンになりたいんです。

 

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青森県弘前市に移住した、
りんご飴マンさんに聞きました。【4/4】
   

わにわにinterview②ぼくの理想は、メガホン」 

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りんご飴マンさんのご自宅でインタビューしてみました(後編)

インタビュー文=朝山実
撮影©山本倫子

  

顔は真っ赤、頭にぴょんと棒が突き出た
「りんご飴」の格好をした若者をご存知ですか? 
この春、東京から青森県弘前市に移住。急速に認知され、青森の超有名人
りんご飴ガールや、ニセモノさんまで出没するようになったご当地「ゆるキャラ」ならぬ「生キャラ」さん。ちなみに「生キャラ」は顔バレしちゃっていることからくる自称で、「なかのひと」の正体は、29歳の勤労青年という以外、いちおう不明です。
この度、そんな彼に会いに弘前を訪ねてみました。

 Do you know  "Ringo-ame.man=Japanese Apple Candyman"?
He emigrated to Hirosaki-shi, Aomori from Tokyo in the spring of 2015.
He resembles that the Superman. Only just a little.
If you meet him, there is a rumor that anyone can feel "happy".
However, nobody knows who he is.
But, Many people of this town know "Ringo-ame.man". 

☝前の回を読み直す。 ☟連載の最初から読み直す。

── ヘンシンする際に「ヨォーシ、やるぞ!」とかいうのはあるんですか?

りんご飴マン(以下、同) 「ならないですね。テンションは変わらないです。べつに、りんご飴マンになったからといって、ちがう人間になるわけでもないので」

── 内面的変化もない。


「そうですね。でも、『あ、りんご飴マンだぁ!』と言われたら、そのひとがイメージする、りんご飴マンになろうとするというのはあるかなぁ」

── きょう一日ご一緒していて、子供の反応が面白かったです。最初は遠巻きだったのが、一人二人とまとわりつくと離れなくなる。
 飴マンさんは教育実習の先生の卵みたいで、ソツのないように見え、ぎこちないところもあって。あの最中も、いま言われたみたいに期待されるイメージに応えていたんですか?

「子供はたいてい決まった反応をするんですよね。恐がって泣いたりしていた子も、友達がふざけて触ったりしだすと、おそるおそる真似たりする。
 ……だけど、子供は、どっちかというと苦手です。
 ただ、接していくうちに、こういうふうにすると喜ぶんだというのがわかってきて、わかると可愛いと思えてくるんですよ」


 子供たちに囲まれているりんご飴マンさんを見ると、あしらい上手に見えるが、だんだと場数を踏んできた結果で「慣れ」によるものだという。
 
慣れといえば、移住後、取材を受ける機会も格段に増えた。地元テレビの番組ゲストや新聞のインタビューに、大学生たちや自治体の様々なイベント。その都度、面白いことをしようとするものの、「何も出来ずに固まってしまう」のだという。
 タレントっぽくない。それが逆に好印象を生み出しているのだろう。


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ぼくには、
なりたいというものがないんです。

「なんでも、一回でうまくいったことがないんです。
 何回か経験していってコツを掴むタイプで、イベントには不向きだと思うんですが、失敗しながら、いまは人並みになってきているんじゃないかと思います。基本、受身ですし。いつもやりたくないなぁというのが先ずあって、でもやっている。負の部分があるんです」


 わかるなぁ、なんとなくだけど。ワタシもインタビューを仕事にして20数年になるけれど、ひとに会うのが苦手で、緊張してトイレを何度も往復するなんてしょっちゅうだし。だったらインタビューなど仕事にしなければいいようなものだけど。

「さっき、知られることが目的じゃないって言いましたが(前篇にて)、僕は、『りんご飴マン』というのは、メガホンだと思っているんですよ」

── メガホンですか?


「何者でもない存在の僕が、こんな良いもの面白いものがあるよ、と情報を発信し、受け止めてくれるのがたとえば10人だとする。まったく同じことを、『りんご飴マン』となって発信したら、500人が反応を返してくれる。誰かを応援したい思ったときに、どちらがいいかなんですよ」

 つまり、「メガホン」は伝えるべき「音声」を拡張する道具で、目的ではない。「メガホンを売り出したい、という人はいないでしょう」という。

── なるほど、メガホンかぁ。では、飴マンさんがメガホンになって伝えたいものって、どんなことになるんですか? 時どきで違うものなんですか。

「こういうことを青森でやっている人がいる。こういうイベントが弘前であるよ、ということかな……。
 僕は“媒体”で、りんご飴マンという、(地元のひとにとっては、昔かにあるもので、珍しくもないものだけど)遠くからやって来たやつがこんなに『面白い』というんだからと、地元のひとが再発見する。そういうふうになってくれたらいいと思っています。

 あるいは、いまはもう地域の物産展で、半被を着てパフォーマンスをするのは当たり前すぎて人目を引かないけれど、まったく関係のない場所に、りんご飴マンとして出ていき、青森の特産を紹介したら、なんで? というミスマッチもあって、違う反応が起こると思うんです」

 

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「媒体になりたい」というのを耳にして、ワタシは記憶を手繰ってみた。
1970年代の初めに『ぴあ』とか『シティロード』とか、関西だと『プガジャ』という情報誌が次々と創刊された。学生運動が衰退していった後、若者たちが「なんか面白いことをやりたい」と集まり、立ち上げた手作り感のあるミニコミ・メディアだった。当時も、演劇や自主映画や美術展やイベントは毎日どこかで行なわれていた。
 関西で過ごしたワタシは、いしいひさいち中島らもの漫画が載った『プレガイドジャーナル(略称、プカジャ)』をカバンに入れては街に出ていった。考えてみたら、あれも「メガホン」だったような気がする。


「僕がまだ十代だった頃に、『これ、すごいんだよ』とか言ってアーティストのCDを友達から教えてもらったりしていた。友人の情報なんで、それは信憑性がありますよね。そういう感じで、飴マンとして発信し、青森のよさが伝わっていくと、地域の活性化にもつながっていくんじゃないかなぁと。これは期待ですけどね」

── それを個人でやるというのは、ラジオのパーソナリティみたいものかな。

「似ているかもしれないですね。ベストは将来、そういうふうにして地域に関われるようになったらいいなと思っています。
 すこしずつ積み上げていかないと、いきなり、こういうことをやるというふうにしてやれるタイプじゃないんです。大きなことは言えない性格なので」

── 小さなことからコツコツと言っていたタレント議員さんがいましたが、ナカタさんは慎重というか、臆病なほう?

「自分の中に、絶対こうなるんだというものが無いからかもしれません。
 でも、無いならないなりに、いまやれることをやってみる。山登りにたとえるなら、最初から高い山頂を目差すのではなくて、山道を黙々と登っていったら、あれ? 
山頂に到達していた。そういう考え方なんですよね」

── 過程を重んじるわけね。

「ひとからよく言われるのは、おまえは無計画だって(笑)」

── 指摘じたいは、はずれてはいないでしょうね(笑)。

「ただ、途中で違う道に進んだとしても、やってきたことが真剣なものなら糧になる。それって大事だと思っています」

 なぜ一直線ではないのか訊ねると、「こうなりたいというものがない」という答えが返ってきた。

「たとえば、地域起こしの手伝いをしてくださいと言われたら参加しますが、かといって職業的なコンサルタントになりたいわけじゃないんです。
 わかってもらえます?」

── 理解はできます。飴マンさんとワタシは、親子くらいに年齢が離れているので、よくわからなかったりするのは、同世代の周囲の人たちが、いまのような考えをもつナカタさんをどう見ているのだろうかということです。

「どっちかというと批判されますね。まわりを見ていると、自分の考えが漠然とでもあって、それを整然と語るひとが多い。俺はこういうことがやりたくて、だからいまこういうことをしているって。
 僕は、20代の後半になっても『これをしたい』がないままに来てしまった。この先も、たぶん無いだろう。そう思ったときに、ひとから頼られたときに、応えたい。それは唯一、自分がやっていきたいということだとわかったんです」


「ひとから頼られたときに、応えたい」という飴マンさんの顔を、しげしげと見てしまった。
 ワタシゴトだけど30歳半ばで、キャリアもないのに「本の編集者になりたい」と会社を辞め、上京し、結局ライターになってしまった。「作りたい本」は何冊も続かず、ライターになってからも専門ジャンルはできず、もっぱらインタビューの仕事を続けて早25年。飴マンさんの話を聞いていて、うんうんと彼に同調するワタシがいる。
 
── 子供のころは、どうでした? ナカタさんの子供時代ということですが。

「どちらかというと、ワンパクでした。興味は何に対してもありましたし。学校でも率先して、ナントカ委員をやっていましたから。リーダーになりたがるタイプだったんですよね」

── リーダーというのは、なんとなくそうかなぁと。

「でも、あるとき器量が無いことに気づいたんですよ」

── 器量というと?

「カリスマ性みたいなものが自分にはない、と気づいたんです。それから急に恐くなって、『委員長なのに、何もできねえやつだ』とか、『俺らのほうが上手いのに』。そう陰で言われてるんじゃないだろうかって、気になって。目立つことに気がひけたんです。
 それでも、子供なりに目立ちたい気持ちがあって、そうだ、副委員長になろう。器量を求められないポジションならいいかって」

── 補助的なサブならいいだろうって(笑)。

「おかしいですよね(笑)」

── 具体的に何か、心理的に怖くなる出来事があったんですか?

「……中1のときだったか、合唱の練習を録音したんです」


── はい。

「それで、録ったものをみんなで聴こうとなったときに、僕の声が、ブァーーッと流れて、すごいショックを受けたんです」

── 
というと?
 

「大笑いされたんです。ああ、ひとから見たら僕はこんなにおかしいんだ、調子乗っているだけじゃンと思ったら、それからは、もう……」

── 恥かしくなった。思春期にはありがちなエピソードですよね。

「それから急に人前に出るというのが出来なくなってしまって。いまに至るなんですけどね」

── 満々の自信が、一瞬にして瓦解したわけだ。

「それまでは、何でも先頭に立ちたいと思っていましたから」

── 学校の成績とかはよかったの?

「どうだったろう。国語はよかったですけど、総合的にはそんなによくはなかったですね」


「それぐらい」のことで性格が一転したというのは意外ではあるが、納得するところもあった。ワタシにも思い当たることがある。
 小学生の頃、姉の鏡台の前に立ち、ポーズをとっていた。テレビのヒーローを真似て、うっとり自惚れていた。いまでもバカだなあと思う。
 それからどれぐらい後のことかは不確かだが、アルバムから写真を剥がして破り捨てる光景がワタシの記憶の中でつながっている。何が発端だったのか。縁側でチャンバラごっこに興じている自分が、愚かでブサイクに思え「消えろ」と思い、写真を破り捨てていた。母親が止めに入ると余計ムキになり、おかげで子供時代の写真はわずかしか残っていない。
 そんなことを思い浮かべながら、ワタシはちがうことを口にしていた。

── いまの飴マンさんの話、客観的にいうと、だれにもある。「気にしすぎだよ」って言われそうな、些細なものですよね。おそらく、笑ったクラスの子供たちも、同窓会とかで再会して話題にしても、覚えてないんじゃないかというくらいの。

「そうなんですよね。でも、たぶん、そんなふうにして、ひとに笑われるという体験をしたことがなかったからなんでしょうね。ずっと俺、ダイジョウブでやってきて」

── 飴マンさんは、それでも副委員長にはなりたいという。ショックを受けても、完全にひきこもるわけではないんですよね。

「そうそう(笑)。ここなら目立たない、大丈夫という場所を見つけようとしていたんだと思いますね」

── いまに、つながっていそうですね。

「そうですね。人の役に立つ人間になりたいという思いはあるにしても、それはものすごいものでもない。舞台が大きいと、気がひけるところとかも」

つまんないでしょう、
ぼくの答え。

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── 相馬のねぷた祭りですが、ハンドマイクを抱えて掛け声をかけていましたよね。いまの話とは別人みたいに颯爽としていますよね、写真を見ると。

「りんご飴マンというキャラクターを、周りのひとたちに認知してもらっている。好意的に受け止めてくれている人がいる、というのが自信になっているからでしょうね。
 晴れがましい舞台で目立つことをやっても非難されないだろうというのを、頭の半分で思っている。たぶん、何もないと出来ないです。
 わが道を行くは、やれないんです(笑)。
 でも、これはいいんじゃないかというジャッジは、自分のなかであるんですよ」

── 顔を赤くして人前に出るのはOKというジャッジ。ペイントひとつで「自分を変える」ことができるのなら、こんなにリーズナブルなことはないですよね。

「コストパフォーマンスはいいかもしれません。そう、そうなんですよね。でも、りんご飴マンの悪口を言われたりすると落ち込みます」

── 2チャンネルに書かれたりとか?

「あれはいいんですよ。目立つものはなんでも批判するものだから。そうじゃなくて、悪意のないひとに、ふつうに『あれは無いよね』とか言われるのは……」

── へこんだときは、どうやって立て直すんですか?

「肯定的な意見を見ます」


── ハハハ。わかりよいですね。

叩かれるときのポイントは自分でもわかりますから。しゃべりが上手いわけでもない。芸があるでもない。目立ちはするけど、中途半端なやつですから」

 

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 ☝りんご飴マン=提供


── リアルなほうの家族構成をうかがっていいですか?

「両親と、お兄ちゃんと妹の、(僕は)次男です」

── ご両親は、りんご飴マンのことを知っているんですか?

「最近知ったみたいですね。おとなしかったのにと驚いていましたが、『でも、変わったことをするのが好きだったものね』って言われました。子供の頃から、ひとと違うことをしたがるところはあったって。学生の頃も、エキストラのバイトをしたりしていましたから」

── 役者に憧れたとか?

「そういうんじゃなくて、バイトです。レストランとかバーとか、バイトは接客系が多かったですね。ひと付き合いは苦手なんですが、仕事と考えたら割り切れるというか」

── いちばん幼い頃の記憶を教えてもらえますか?

「幼い頃ですか……。4、5才かなぁ。
 吉祥寺に買い物についていって、親とはぐれて、泣きながら探したんです。ひとりで帰れないし、どうしょう。こんな広いところで見つかるわけないよ、というの。それがいちばんです」

── トラウマになりそうな出来事ですね。

「それでよく覚えているんでしょうね」

── もう一問。今度は1番を答えずに「いま2番目に大事なこと、大切なもの」を教えてもらえますか?

「2番、ですか……なんでしょうね。
 最近なら、お金かな」
 

── お金ですか。

「東京で働いていると、幾らか貯えもあったんですが、こっちに来て収入が減って、使い方を考えないとやっていけない。
 将来を考えると、この年齢で貯金もなかったりするのはどうなのと思いますよね」

── そういう不安は、顔に出さないですよね。

「そうですね。つまんないでしょう、答えが」

── まじめですね(笑)。

「……(笑)」

 ペイントされた顔は異様に見えて、時間とともに、違和感がなくなるものだ。

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── そういえばワタシ、以前、顔半分がコブのように腫れた大学の先生を半年くらいかけて取材したことがあったんですよ。初対面の挨拶を交わしたのが九州の空港で、しばらくそのひとの顔を直視できなかったんです。かといって視線を逸らすのもなんだし。しばらく、ずっとぎこちなくて。
 それが二度三度と会ううちに、だんだんと顔のことを忘れかけるんです。でも、すれ違うひとの反応で気づかされる。このひとの顔は腫れているんだなぁって。そのことをいま思い出しました。突然ですが。

「子供たちも最初だけですよ、驚くのは。すこし時間が経てば、質問を浴びせかけてきますから。
『ねぇねぇ、何しているの?』。女の子なら『彼女はいるの?』。
 興味があるというよりも、そういうふうに質問するのが礼儀だと刷り込まれているところがあると思うんです」

── 浴びせられる質問に窮したら、どうするんですか?

「ヘン顔で威嚇する。ガオッ!!って(笑)。
 でも、何回もやっていると通じないですから、ふつうの会話になっていきますよね。もう飴マンじゃなくてもいいんじゃないかというくらい」

── じつは、このインタビューを始めた際の裏テーマは「自意識」なんです。振り切りたくても拘泥してしまう「自我」をどんなふうにして、ひとは飼いならしているんだろうかというのを聞いてみたくて。飴マンさんは、すごくキワドイですよね。

「僕の場合、自分が目立ちたいのが目的だと、東京を出て弘前に移住しなかったでしょうね。
 ほかの『ゆるキャラ』さんとイベントにご一緒するときに、なんだか申し訳ないなと思うのは、ひとりだけ色合いの違うのが混じっている。それで、注目がこちらに集まってしまう。だけど、そもそも僕、ゆるキャラでもないですしね」

── 自信満々だったことは一度もないというけど、うかがっていると、不思議なほどに自己評価が低いですよね。どうして?

「なぜなんでしょうねぇ」

── 自分がやっていることを、つまらないことだとは思ってはいませんよね。

「……どちらかというと、つまんないかもしれないと思っているかもしれませんね。やっていることはスキルじゃないので。人柄が出ることはあっても、作家性があるとかいうものでもない」

── やろうとしたら、これぐらいのことは誰でもやれるということですか?

「いま注目してもらっているのは、なぜなんだろうというのは考えますよね」

── そのクールさが、独自性かもしれないですね。
 最後の質問になりますが、「移住してよかったこと」は?

「変わったのは、人と会うことが多くなったことです。東京だと、必要最低限にしか会おうとしなかったのに、こっちに来て、毎日、知らないひとたちとメールを交わし、電話で話しています」

── ありがとうございます。


 飴マンさんとはその夜、晩餐をともにし、宿泊するホテルまで彼の運転で送ってもらった。途中、道路工事をしていた。車止めのガードマンが、じっとこちらを見たまま、棒振りの手を動かそうとしない。
 なんで? 

 ようやく指示が出て、クルマが走り出す。
 カメラマンの山本さんが「そうですよね」という。「わたしたち、ずっと一緒だったから見慣れてしまっていましたが、まだ顔、飴マンのままなんですよね」
 なるほど、不審者を見るガードマンさんの反応は正しかったのだ。

 別れ際に、もうひとつだけ聞いてみた。

── ひと付き合いが苦手と言われていたのに、よく田舎に引越そうなんて思いましたね。

「ですね。そいうことも、こっちに来てみてから、気づいたんです」

── 暮らしてみてからですか。

「ええ。だから、たぶん捉え方だと思うんです。
 ネガティブに見たら、なんでも情報が筒抜けで、典型的な村社会だけど、何をするにも助け合わないとやっていけない。そう思うと、悪いことばかりじゃない。
 でも、事前に田舎暮らしはこうなんだということを知っていたら、躊躇したかもしれないですね」

── いきなり飛び込んだのが、吉だった?

「どんなことでもそうでしょうけど。ものごとには、いい面も、そうでない面もありますからね」

 

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 取材を終えて、かれこれひと月以上になる。
 ふと思い出すのは、飴マンさんの家を出たときのことだった。
 日が暮れるのが早くなり、まだ6時を過ぎた頃だというのに、辺りは真っ暗だった
。「星がきれいですねぇ」と山本さん。
「満月の日はもっとよく見えますよ」と飴マンさん。
 ふいに、「こんばんわー」と女のひとの声がした。

「こんばんは」
 ワタシを含め、三人がそれぞれに返していた。

 顔は見えないが、とっぷり暮れた闇の中で、やわらかい声を耳にし、気持ちが緩んだ。だから何でもない。それだけのことではなんだけど。
 ただ、弘前というと、いまはその情景がセットになっている。

 

    ☟こんなこともありました。(撮影=朝山実)

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 🍎 次回予告、松江のシンガーソングライター・浜田真理子さん。

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