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わにわにinterview「ウラカタ伝」 (わにわに伝)

ふだん表に出ないけど、面白そうなことをしているひとを呼びとめ、話を聞きました。

大変な中から学べる喜びはあると思うからね。

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わにわにinterview③島根と福島のハナシ
 

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国道6号線の先に

  インタビュー・文=朝山実

  写真撮影=山本倫

福島を忘れないスクールを遠く島根で続ける
シンガーソングライター・浜田真理子さんに聞きました。【6/6】  

福島県相馬市での「みんなのしあわせ音楽会」の翌朝、相馬駅の散歩しながらポートレイトを撮影。その後、東北
ツアーを終え、島根に戻られるまでの空き時間に東京でもう一度、浜田真理子さんをインタビューしました。福島で感じたことを聞いておきたかったので。


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f:id:waniwanio:20160109110238j:plain                         ☝散歩中に見つけた、相馬市モリタミュージックのお店の前で


浜田真理子
(以下同)  被災地のひとは、わたしたちが写真なんか撮っているのを観光気分だなぁとか思うんじゃないかと、おそるおそるんだったけど。

 スマートホンを取り出し、浜田さんは自分が撮った写真を映し出した。

── コンサートの前日に、コンサートを企画された佐藤さんの案内で、南相馬のほうを見てまわられたそうですね。

 6号線を走って、小高の写真をけっこう撮ったりしたんですよ。駅前に一軒だけ店を開いている商店とか、通り沿いに三段重ねになった黒い袋とか、除染のトラックがひっきりなしに走っていて、シマムラの駐車場にトラックがいっぱい止まっていたから、佐藤さんに「なんで、こんなに? 置き去りにされているクルマですか」といったら、除染作業員の大休憩所になっているそうなんですよね。
 ここまで乗ってきて、ここにクルマを置いて、みんなでまとまって移動するんだって。

 スマートホンで撮られた風景。ほかにも黒いゴミ袋、駐輪場の引き取り手のいないままの自転車が……。気持ちが緩むのは、浜田さんたちが昼食で立ち寄った食堂の写真だ。除染の作業員のひとたちで賑わっていたという。

 いわきでライブがあって、わたしは終わってからそのまま連泊していたんだけど、「えんどう豆の作業所を案内するから」と佐藤さんに言われて、南相馬に移動して、連れていってもらったのね。
 昔ながらの機織を大柄の男のひとが操っていて、わたしが「写真、撮っていいですか」と言ったら、「いいよ」って。このスマホで撮っていたら、「ハマダさん、このひと、いつもはねぇ」と言われたの。写真は嫌だから、ふだんは断っているんだよというのね。
 たぶん、取材のひとがバシャバシャと写真を撮ったりするのが嫌なんでしょうね。
 こっちの写真は、缶バッジをつくっている男の子。(試しにやってみたいというと)「これは難しくて、俺がやらなきゃいけないんだよ」って態度で貸してくれなかった。いやな感じとかじゃなくて、彼はそれだけプライドを持ってやっているからなんでしょうね。


「みんなのしあわせ音楽会」を企画した佐藤定広さんは、ダウン症などの障害をもったひとたちの作業所「えんどう豆」の運営にたずさわり、現在は相馬市内で新たな作業所を立ち上げようとしているひとだ。

南相馬のその日の様子は☞小高の町へ | 南相馬ファクトリー日記



── 浜田さんは、コミュニケーション能力が高いですよね。コンサートの日、初対面のひとたちの大部屋の楽屋での様子を見ても、自分から話しかけてられたし。

 オバサン力ね(笑)。いつも、あんまり意識せずにやっているので。だから、初めていった場所なのに歩いていると、わたし、よく道を聞かれたりするんですよね。
 ひとによっては、会話が弾まないことはあるけれど、それはそのひとがわたしを嫌っているわけではなくて、ただ弾まないだけだろうなぁって。ここは黙っていたほうがいいのかなぁとか。話しかけたほうがいいのかなぁって。これでも、けっこう考えながらやっています。
 
そういうふうにいつも誰かといると脳を活性化させているので、嫌じゃないんだけど、忙しい(笑)。だから、ひとりでいるのは楽でいい。そういうの一切やらなくていいからね。
 
むしろ、いっぱい人がいるほうが、ひとりでいる感じがするかも。集団って言うのは一人がいっぱい集まってできあがっているものだし。ぜったい同じ人はいないと思っているから。共感することはあっても、血圧とかも一人ひとりちがうんだし(笑)。

── ワタシが今回相馬に行ったのは、浜田さんがコンサートに参加するというのがあってなんですが、急遽コンサートを主催されていた佐藤さんに無理をいって、浜田さんが回られた南相馬のあたりを駆け足ながら案内してもらったんです。強引だったけど、たぶん、こういうことでもなかったらずっと行かないままの場所かもしれない。タイミングを逃すと、臆するというのかな。

 佐藤さんは、すごくいいひとで、そして、見てほしいんだと思う。イベントをやったあとだから、次の日はもう疲れていたと思うんだけど、アサヤマさんを案内されたのも、本当のイベントはここから始まるんだと思っているからじゃないかなぁ。
 除染の袋がそばにある町に住んでいても、そこにも喜怒哀楽があって、毎日楽しいことがあれば笑ったり、酒を飲んだりする。ひとは、ずっと緊張しつづけるというのはできないから。根底には、かなしさ、つらさがあると思うんだけど、楽しいことがないとやっていられないよね、というのはあると思うんです。

── たしかに、そうですね。


 実際に佐藤さんと話していると、わたしは「福島を救う」とかじゃなくて、目の前にいる佐藤さんを元気にしてあげたくなるから。佐藤さんがわたしたちをいろんなところへ案内してくれることで、気持ちがすこしでも楽になってくれるんだったらいいなぁとか。
なんか、一度出会うともうみんな親戚のオジサンみたいに思えてくるんですよね(笑)。
 あの森田さん(森田文彦さん・相馬市のCDショップ・モリタミュージック店主で「みんなのしあわせ音楽会」スタッフ)も、おもしろいことを言ってみんなを笑わせてくれたりするけど、彼も、津波自宅と商品倉庫(店舗は市街にあり大丈夫だったそうです)を流されて、けっこう落ち込んでいたんですよね。放射能のこともありで、未来に希望が抱きづらい。そういう意味では、相馬は三重苦のようなところだから。


── 森田さんとは何が接点だったんですか?


 森田さんは、震災前からライブの物販でお世話になったりして、一度スクールMARIKOの講師で松江にも来てもらったんだけど(☞スクールMAROKO)。そのときにも、ふっと、かなしそうな顔をするんですよ。ワッと盛り上がったあとに、やるせない怒りをどこにもっていっていいか、わからないふうな。
 こないだも、「あの黒い袋。いっぱいあるよね。どうするんだろうね、国は」と言うのね。半笑いみたいにして。

── 半笑いかぁ……。そういえば、佐藤さんも、松江に行ったときに生活状況がちがうので呆然としたというようなことを話されていましたね。

 事故直後は、東京は自粛ムードで夜も暗かったけど、そんなの続かないしね。佐藤さんは、「松江はいいところですね」と言ってくださったけれど。たぶん本心では、ぜんぜんちがう世界があるんだなぁと思われていたでしょうね。
 わたしは、松江も福島も両方を見ているので、どっちの気分もわかる。島根もね、貧乏な県で、原発が止まって、交付金も出なくなってどうすればいいのか。もう苦しいから動かそうよ、となりかねない。でも、福島を見ていると、それを簡単に許したら、もうコケンにかかわると思うけど(笑)。

── 現地を目にするのと見ないのでは、浜田さんのなかで何かちがいますか?

 (スクールMARIKO)のスタッフの森田勉くん(音響とか担当)もね、気持ちが引き締まると言っていたからね。「ここから線量が高いから先は行けないんだよ」とか、「除染はしたんだけど、庭にそのままあるんだよね」と、黒い袋が積まれたまま放置されているところに暮らしているのを目の当たりにするとね。

── 黒い袋は、年数が経つにつれ劣化しそうですもんね。いつまでも野積みにできるものでもないだろうに。

 ビニールシートのような素材だからね。そういうのを目にするとねぇ。
 わたし、いつも旅先でテレビを見るんだけど、NHKの天気予報のあと、「今日の放射線量は何マイクロシーベルトです」とか、セシウム検出がどうだったというのが映されるんですよね。
 外からやってきたわたしは、そのことにびっくりするんだけどね。花粉情報とか洗濯指数をやっているでしょう。ああいう感じで出るのね。うっかりしていると見逃すから、相撲のあとにこれ(スマートホン)をね、テレビをつけるたび、じっと構えて、ようやく三日目にして撮れたの。

 スマートホンの中の線量を告知するテレビ画像は、一見ヘンテツもないものだった。


 
こんなのを福島のひとは毎日見ているの?と聞いたら、「毎日過ぎてみて、もう見てもいない」というのね。それは、たとえばわたしが東京にやってきたら、ホームレスのひとが道に寝ていたり、酔ったひとが倒れていたりしても、みんな通り過ぎていくでしょう。電車で、すごい声を出しているひとがいても、知らん顔をしているのもそうだしね。

── 東京はそういう意味では、毎日のようにどこかの路線で人身事故があって電車が止まっているから。もう慣れてしまって、誰も騒いだりもしない。ある意味、事故処理がシステム化され、だいたい1時間くらいすれば電車は動き出すのがわかっていて、スマホなんかいじりながらじっと待っているんですよね。昼間の車内なんかは異様なくらい、みんな冷静ですね。

 松江でも何年に1回くらい、人身事故があるんだけど、二週間くらいはその話題で持ちきりになるから。だけど、そんなに頻繁にあると、いちいちそのことを考えていたり悲しんでいたりすると身がもたなくなりますよね。福島のひとに、「あの線量の」というと、「島根じゃそれやっていないの?」と聞き返されちゃった。

── 佐藤さんが「浜田さんは、ああいう唄を歌われるひとだから、何か感じとっておられたんじゃないかな」と話しておられましたね。

 あの小高の町の様子、人がいなくて信号だけが点滅していたというの、聞いてはいたんですよ。その場所に行ってみたら、あの日は意外と人の姿があったけど、日中だけ通ってきているひとたちで、夜になったら無人になるというのね。

── 小高の駅前で、佐藤さんと立ち話をしていたら、若い男性が小さな男の子を抱いてやってこられたんですよね。すこく立ち話をして。一見ふつうの、どこにでもある場面ではあるんですが。

 そのひと、駅前の商店のひとなのかな。お店に入ったとき、「あっ、赤ちゃんがいる」って、わたしもちょっとびっくりした。お店で買い物をしていたら、若いお母さんが赤ちゃんを抱いて店番をしていたんですよね。あっ。と思って、でも、なんか聞くに聞けなくてね。

── ワタシも、本来聞きたいことではないことをつい話題にしたりするんですよね。男の子がおとなしくて、こっちを見ても態度を変えないから、「人見知りをしないんですね」と言ったら、「そうでもないんですよ」とお父さんが話しかけたとたん、子供がむずかって泣き顔になったりしてね。そうしたら、佐藤さんが、「子供は希望だからね」と口にされたのがすごく印象に残ったんですよね。

 そうね。未来だからね。子供や若い子を大事にしないといけない。
 それで、あそこに立ってどう思うのかと聞かれるとね、どうもこうも、何を考えたらいいのか、どこに着地したらいいのかもわからなくて。ああ、子供がいるんだという驚きがあって、昼は除染のひとがいる。食堂のオバチャンはとっても明るいぞ、とか。あの明るさに、除染で来ているひとは元気をもらうよね、あのオバチャン力はすごいよね、とか。お店のところに「あさイチが取材に来たんですよ」とサイン(してある色紙)が飾ってあったりしてね。もう、なんの足しにもならない感想をその都度もちはするんだけど……。
 
もうちょっと時間が経ったら、何らかの意見になっていくかもしれないから、その事実の点みたいなものだけをもって帰ろうと思ったの。

── ワタシは浜田さんを介して、相馬の佐藤さんや森田さんを知り、そのひとたちを通して福島を見るわけですよね。原発の話もそうだけど、彼にはダウン症の娘さんがいて、下にもう二人、娘さんがいる。少子化の時代に、佐藤さんはなんと三人もの子持ちなんですよね。いいなあって。
 長女が生まれてきたとき、障がいを知って動揺はしたけれど、一週間ほどして考えが変わったきっかけが、自分の人差し指を赤ん坊がギュッと握り締めた瞬間だったと言うんですよね。

 赤ちゃんが握り返してくるのは反射神経で、じつは筋肉の動きだそうなんだけど、あれ、それでもすごく感動するんですよ。わたしもそうだったから。
 わたし、松江で障がいのある子供たちと楽団をやっているんですよ。いろんな子供がいてね。お母さんたちも明るくて。もともと明るいひともいるんでしょうけど、子供たちもほんとうに可愛くて。無垢な感じというか。みんな、ここでいい演奏をしようとか、頑張ろうとかいうのがなくてね。ただ、無心でやっている。
 ああ、それに比べて、あれこれ考えながらやっていて、わたしはなんてキタナイんだろう、汚れているだろうって思ったりするからね(笑)。

 これは佐藤さんもおっしゃっていたけれども、「大変ななかから学べる喜びはあるんだよ」って。それはあると思う。

── 佐藤さんの話では、もともとの本職は建築士で、家の本棚に建築の本が並んでいたところに、福祉関係の本がどんどんスペースを占めるようになって、建築の仕事はやめたんだと話されていた。

 いまは建築バブルだから、続けていたら収入は何倍もちがっていたかもしれないのにね。わたしも「両方できないんですか」と聞いたんですよ。NPOにお金がないとおっしゃるからね、「いゃあ、それ、できないですよねぇ」って。
 気持ちの問題なのか、物理的なことなのか。佐藤さんは、まっすぐなひとだからね。そういう器用さは無いのかもしれない。見るからにやさしいひとだけど、コアの部分はつよくて。潔く捨てちゃうというのがね。

 

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相馬はお城のお堀があり、松江にどこか似ている。この撮影、旅番組っぽくない。いいの?とかいいながら。横に立たれているのは「まだいらっはゃるかな」と朝やってこられた南相馬ひばりFM局の今野聡さんと。


「みんなのしあわせ音楽会」の会場には、山形市役所の職員で、福島から避難してきているひとたちの受け容れの窓口をしている内藤さんという女性も来られていた。スクールMARIKOの講師のひとりでもある。

浜田真理子(以下同) 避難が続くと、もともとあった住民相互の問題も顕在化してくるんですよね。心に余裕があるときは上手く隠していたものが、避難所暮らしが長くなると吹き出してきたりして。だけども、メディアは「心が一つになりました」とかいって、良い話はニュースとして取り上げても、悪口を言い合うようなことは無いかのように蓋をされる。家庭の事情でもともと夫婦仲がよくなかったところに、家族が離れて暮らすようになり、帰れるようになっても居心地がいいからもう帰らないということもあったりして、支える側も「支援する良いひと」でありたいんだけど、やはりそこは人間ですし、ときには破裂しそうになったりするというんですよね。

── それは、スクールMARIKOに講師で来られたりしたときに話されたりするんですか?

 そうですね。支援するひとにも悩みは多いと思います。それは内藤さんに限らない。スクールをやっていると、講師のひとを癒しているような気がしてきてね(笑)。前線でやっているひとたちは、それだけ風当たりもつよいから、わたしたちのように離れた場所でノンキにやっているものたちが、そのひとたちがふだん言えない愚痴を聞くというのは意味がある。先頭に立っているひとほど、いろいろ叩かれて、弱音を吐きたいのにそういう場所がないんだと思うんですよ。
 スクールをやっていて、講義のあとの打ち上げが大事だなと思うのは、(来てもらった講師のひとが)「先生」としてではなく、お互い、ひとりの人間としてざっくばらんになって話せること。だから、疲れたらいつでも松江においでよと言っている。

── 親戚の家に行くみたいに。

 そうそう、親戚のオバチャン家のつもりでね。地元で愚痴をこぼすと「いやならやめればいい」と言われるから、言えないんだって。でも、このひとが壊れたら、もう誰がその役割を担うのか。それを考えたら愚痴を聞くくらいなんでもないことだから。

 

── たまには愚痴をこぼすことも大事なんですね。というか、このインタビューをやりはじめて、インタビューというのはいいなと思いはじめているんですよ。

 えっ、いまごろ?

── いまになってですね(笑)。20年くらいインタビューし、それを文字にするのを仕事としてやってきて。もちろんその都度楽しいことはあるから続いてはいるんだけど、文章にしていく段になると仕事という割り切りが前提にある。だけど、このインタビューは誰に頼まれたわけでもスポンサーがいるわけでもなく、なんだか趣味みたいなもので、話を聞いてみたいから訪ねていくというの。自己満足っぽいんですけどね。

 でも、それは大事なんじゃないかなぁ。さっきの佐藤さんにしても、一言コメントをもらえたらすむものを、会ってみてみたらもっと聞きたいと思ったというのは、佐藤さんと時間を過ごしたかったわけですよね。そんなこと、誰もやれと言ってもいないことをする。それは向かっていっている感じがしますよ。

── 向かっていっている?

 いまどき、自分の話をじっくり聞いてくれるというのは嬉しいことだと思いますよ。インタビューの動機が、このひとをいま押さえておいたら得だぞとかいうんじゃないでしょう。自分の仕事を尊重してくれるひとがいて、話を聞かせてほしいと言われて嫌だというひとはいないんじゃないかな。

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── ところで話はとびますが、浜田さんの唄を聞くのに、いまは松江以外でホールのコンサートはむずかしい?

 フリーになると何かと準備や集客が大変なんですよ。このあいだ、松江の県民会館のホールでやったときは、企画会議に出たんですよ。「アーティスト自ら企画会議に出て来られたのは初めてです」って言われた(笑)。もう10年ちかくやっているから、会館のひととかはお互いに知ってはいるのでね。
 去年までは、ぜんぶ市川さん(美音堂)がやってくれていんだけど、「今年は、わたしひとりなので、よろしくお願いします」と挨拶し、「マリコさん、弁当はどうしましょう。スタッフ何人ですか?」だったら何個にしますというやりとりをしてました。

── お弁当、大事ですよね(笑)。


 お金の話もね、「今回は、東京からゲストを呼びたいんですが」とざっくばらんに経費の相談をしたり。へぇーそうなんだぁって、知らなかったことを一つひとつ教えてもらったりしながら、いままでできなかったこともやりましたから。

── というと?

 コンサートの前にロビーで、地元のひとたちが演奏をしていたりして、くつろげるカフェを出したかったんです。お客さんが開演前、ちょっと早くに着いたら、待ち時間にロビーでお茶したり、ケーキを食べたりとかしてもらえる。昔一度だけアメリカにいったときにそういうのをホールでやっているのを見て、すごく素敵だなぁと思ったのね。
 でも、それをやるということは、あれこれ経費のやりくりもしなければならないんですけど。会館のひとにも、それはやってみたいと言ってもらって。ロビーには、地元の今井書店さんに協力してもらってブースを出してもらえて。
 ひとりになったから、じゃあやってみようと、いろいろトライできた。
 だって、いきなりチケットを出して音楽を聞くというよりも、非日常のお祭りなんだよという気持ちがね、じょじょに高まるっていいじゃないですか。

── たしかに、そういうがあったほうがくつろげそうだし、なにより10年所属した事務所から独立されるという際に、前向きなのがいいですよね。
 話はすこし戻りますが、ワタシ、佐藤さんにも言ったんですが、福島のひとたちが生まれ育った土地にとどまりたいというのが実感として理解できないでいるんですよね。浜田さんは、ずっと島根で暮らしておられるから、そのへんのことを聞いてみたいんですが。

 わたしは、福島のひとたちが戻りたいというのはわかるんですよ。でも、じゃあ、わたしが同じような気持ちで松江に住んでいるかというとそうでもないような気がする。住むというだけならどこにでも住むことはできると思うから。
 松江はね、きれいな町だし、サイズが気に入っているというのはある。まあ、わたしのことは置いておいて、福島の、あれだけの被害に遭った80にもなろうというオジイチャンが、もう一回家を建てたいというのを聞いて、「よしたほうが……」と言いそうになったりするんだけど、だけど言えないよね。
 あと、言葉ですよね。「東北弁、しゃべりたいんだよ、ハマダさん」と言われると、ガーンとくるからね。「食べ物が美味しいし、みんなやさしいんだけど、俺は東北弁のしゃべれるところがいいんだ」と言われると、なんにもしてあげられない無力感におそわれる。

── 無力感ね。

 うちの父なんかもね、島根の原発の避難計画とかに対して言うのは、「80年もここに住んでいるんだから、よそに避難しろと言われても、俺は行かない」。お年寄りにはキツイですよね。だから、福島のひとも、福島を愛しているひとが多いから。農業とかやっているひとはとくに。


 録音テープは、ここで終わった。
 そろそろ羽田に向かう時刻。相馬での音楽会のあと、東京でのライブを挟んで、松江へ戻る朝、品川駅に近い喫茶店での取材だった。
 結論もまとまりもないままで、申し訳ありません。
 通常やっている雑誌とかの仕事だと、ここは無理にでも〆のことばを探そうとするのだけれど。
ただ、プツンと終わった感があるぶん「ふるさと」について、あれから、いまもしばしば考えています。
 私事ながらワタシの父は、東日本大震災の2週間後に88歳で大往生しましたが、終戦末期に兵隊に徴集された以外、ずっと生まれ育った土地を離れなかったひと。電線工場で働いた、ただの勤め人です。

 神戸の震災で実家が半壊した後も、ひとり暮らしには大きすぎる二階家屋を生家の遠隔地に新築しながら、そこに住もうとはせず、物置を改造した仮住まいに居住しつづけた変わりもののジイサンでした。
 まわりは新興住宅地に変貌したとはいえ、旧弊とした村のつきあいが残るなかでの老人の独居は、元来人付き合いが不得手な父にとって楽しいものとは思えなかったのですが、口をひらけばと「先祖が」といい、頑迷なほどに生家のあった地を動こうとはしなかったのは、なぜなのか。

 初対面ながらも佐藤さんといると、不思議と父のことが思い出され、どこかに答えがあるのかなぁと思ったりしていました。
 今回のインタビュー。島根に浜田さんに会いにいった理由のひとつには、彼女が10年あまり所属した事務所から独立した事情を聞いておきたいというのがありました。
「美音堂」を設立した社長の市川さんと浜田さんが二人三脚でやってきたのを、取材者としてしばらく目にしていたこともあり、というか市川さんに対してワタシ自身も親近感を抱いていたので、美音堂と浜田真理子は切っても切れないものだと思っていたからです。独立にいたる「なぜ」に対しての回答を浜田さんからうかがいましたが、あえてたとえるなら、おしどり夫婦の離婚に似ていて、もっと長いルポのかたちでしか出来事のホントウのところは書ききれないなと思いもしたので、今回のインタビューには載せないことにしました。
 あと、インタビューで語尾をしょった感じがときおり混じるのは、以前に取材した時間の蓄積によるもので、ふだんの浜田さんは「です」「ます」の会話をしっかりされるひとです。
 
独立を決めた後の活動や思いなどは、浜田さんが出されている個人誌「浜田真理子magazine♯1」に詳しく綴られています。なかでも「旅ノオト」は面白い!!  
  
自身で連絡をとり、はじめて行くライブハウスでのこと。「あの、しのやんさんですか」と呼びかけるまでの、わずかな間。「やん」に「さん」までつけるって相当ヘンだけど、店内にいたスキンヘッドの大男に、なんて声をかけようかと迷っているドキドキがリアルに伝わるエッセイです。
 マイナスの出来事があれば、それをさらにエネルギーにしていく浜田真理子らしい、楽しい個人マガジン。ライブ会場と今井書店で販売中、というか「在庫がまだたくさんある」そうです。本って、なかなか売れませんからね(笑)。

 

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浜田真理子magazine ♯1』
旅ノオト、マリコ対談⓵小片悦子 ⓶山根万里奈、スクールMARIKO活動記録etc
 
☟ 浜田真理子をもっと知りたいというひとに。唄もいいけど、エッセイもジワッときます。

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