わにわにinterview「ウラカタ伝」 (わにわに伝)

ふだん表に出ないけど、面白そうなことをしているひとを呼びとめ、話を聞きました。

自分が見てきたのは、社会の氷山の一角だったんだなぁ、とつくづく思いますよ

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【わにわにinterview ウラカタ伝⑤】

「自分史」の世界は意外と奥深いという、
編集者・中村智志(「朝日自分史」編集長)さんに話を聞きました
【2/3】

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インタビュー・文=朝山実
写真撮影 © 山本倫 

 前回のハナシ☟

waniwanio.hatenadiary.com

 
「異動の内示を受けたときには、『この手があったか』と思った」

 中村智志さんは、今回の異動の前は、朝日新聞東京本社の教育総合本部に在籍していた。ベネッセと共同で「語彙・読解力検定」という検定を行ったり、新聞記事をもとに大学生向けのドリル「時事ワークシート」をつくったりする仕事をしていた。
 1964年東京生まれ。上智大学文学部を卒業し、87年に朝日新聞社に入社した。異動の多い会社だけに、同じ部署に4年半も在籍していると「そろそろだろう」と感じていたという。「この手」というのは、異動先を探す人事の判断だ。すこし他人事のようにして言う。

「年齢のこともあるし、東京でとなると配属先はそんなにない。厳密にいうと出版とは別ですが、自分史というのは傾向としては出版だし、うまい落としどころだなぁと思ったんです」


アサヒグラフ」「ASAHIパソコン」「週刊朝日」の編集部を経験し、新聞の社会部記者も務めた。
週刊朝日」から「ASAHIパソコン」に在籍していた頃、新宿のホームレスを何年にもわたって取材し、『段ボールハウスで見る夢』(草思社)で1998年に講談社ノンフィクション賞を受賞している。ノンフィクションの著作は4冊ある。そういう書き手なのに書く部署に配置されないのは、ワタシなんかはとてももったいなく思うのに、当人はノホホンとしている。

「実をいうと、自分史に興味をもったのは異動の内示を受けてから。それまでは社内にいながら、ここでどういうことをやっているのか、認識も薄かったし。老舗の出版社の編集者が『自費出版の部署に異動した』と聞いたら、一線を外されたのかな、と捉えたりしていたくらいだから」

 たまたま異動の2年前に、中村さんが読んでいた本の中に、自費出版で荒稼ぎをする出版社の舞台裏を描いた小説があった。巧みに顧客の自尊心をくすぐりながら、売れもしない本を大型書店の店頭に並ぶからと、高額を支払わせる。登場人物たちのそうした商法に問題を感じながらも、本を出すことに市井の人たちが生きがいを感じて生まれ変わるという一面はあるのだろうとも思ったという。


「そういう意味では、その本に描かれていたマイナス面を取り払い、プラスの要素を濃くしたのが、いまの仕事じゃないかと思っている。ぼくが、お客さんによく言うのは、『これは、形は本ですが、人生のオートクチュールをつくるようなものだと思ってください、ということ。一戸建ての注文住宅でもいいです。こういう本が欲しいんだけど、自分ではつくれない。その手助けを、大工さんが金槌でトンチンカンチンするように、私たちがお手伝いして、一緒につくっていきましょう。そんなふうに話している」

 中村さんが、自分史の本が並ぶ書棚から一冊を抜き出した。


「こんな本は、市販する出版社では絶対できない」

 終戦後のシベリア抑留体験を綴った回想録だが、頁をめくると、一見ミスマッチと思える、ほのぼのとした挿絵が目にとまる。

「収容所の過酷な体験と合わない、かわいらしい絵です。著者のお孫さんが描いたもので、ご本人からしたら、文章に絵が合うとか合わないではない。孫との人生最高のコラボなんですよね」

 中村さんが「オートクチュール」と思うようになったのは、仕事の流れが一通りつかめた頃だ。

「価格も、一冊百万円と聞くと高いと思いますよね。ただ、考えようだと思う。家族でヨーロッパに旅行するとそれぐらいかかるし、酒好きやグルメの人も、1、2年でそれくらい飲み食いしている。僕なら一年間に馬券で50万円くらい使っている。少しは当たるから、損している額はもっと少ないけど(笑)。
 人は、そんなふうに形に残らないもの、消えていくものにお金を使ったりしている。だけど、本はずっと残る。奈良時代の木簡が今でも読めるのだから、今の印刷なら百年、二百年と残ります。と言うと、詭弁に思われるかもしれないけれど、人それぞれ、お金の使い方としてこういうのもありじゃないでしょうか」

 正直なところ、ワタシは百万円を高いなぁと感じている。しかし、それも「考え方」だという中村さんを、仕事の口上だとも、サラリーマンらしく自己洗脳をしているとも思わない。というか、「堅実な人生」を歩んでいると思った中村さんが、年に何十万円も競馬に注ぎ込むギャンブラーだというのをこのとき初めて知って、ちょっと驚いたのだった。

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 ここでもう一度、中村さんの説明にそって「自分史」をつくることにどんなメリットがあるかまとめておきたい。

1.資料の整理
 自分史づくりを機会に、要るものと要らないものが選り分けられ、未整理の写真や手紙などの整理ができる。

2.本にすることで永く保存が可能
 アナログの本は、DVDなどと違って再生する器械が要らないから、将来にわたって何時でも読みかえすことができる。

3.自分史をつくることで元気になる
 高齢者は老いを感じると落ち込んだりしがちだが、人生を振り返ると、よかったことをたくさん思い出す。「オレ(わたし)の人生捨てたもんじゃない」と自信を取り戻せる。

4.歴史の生きた証言、資料の蓄積になる
 これは顧客本人にとっての利点ではないが、たとえば戦争に関する逸話などが集積され、学術的にも有意義な資料となる。将来的には顧客の承諾を得て、電子データで公開することも可能。

 とくに4番目について、中村さんは「視点を変えてみたら」と前置きし、こう語る。

「自分史を出したいという方には、こちらからたどり着こうとしても難しい、歴史の証言者が一杯います。たとえば、満州からの引揚者だった人で、途中お母さんがなくなり、五歳ぐらいの時に子供だけが三人残された。居合わせた開拓団の人たちが親切にしてくれて、帰国できたという。
 その男性は、泣きながら親が子供を置いていく場面を何度も目にしてきた。当時は何だか分からなかったけれども、1980年頃に中国残留孤児の問題が出てきて、やっと分かったという。そして、自分はラッキーだと思ったとおっしゃるんです。なぜなら、自分を捨てる親がいなかったからこそ自分は帰れたんだ、と。五歳で母親を亡くしたことを幸運と感じる。当事者でないと出てこない戦争のリアリティーですよね」

 中村さんの話に、黙って相槌をうっていた。「それで、」くすりと笑いながら、話をつないだ。

「その人の話は、帰国後も興味深い。満州から帰国したあと、佐賀の孤児院に入ったそうです。そこに昭和天皇行幸でやってきた。子どもだった彼は、お帰りになろうとする天皇陛下の袖口を掴んで、『また来てね』と言った。
 これは、小林よしのりの漫画にも出てくる話で、昭和天皇崩御の後に、そのエピソードを知ったテレビ局から取材を受けている。天皇が亡くなるしばらく前から、毎日のように居場所を確認されたという。そういう人が、自分史を作りたい、と相談会に来られたりする。
 話を聞いていくと、ほかにもドラマがいっぱいあって、しかも、この方が特別変わっているというわけでもない。
 僕もこの会社に入って27、8年、これまでいっぱい人を取材してきましたが、自分が見てきたのは社会の氷山の一角だったんだなぁととつくづく思いますよ」

 なるほどねぇ。うなずくワタシに、中村さんは「そうは言っても、異動を告げられる前は関心がなかったんだけど」とジブンツッコミをしている。彼が、年賀状に「自分史の世界は奥深い」と記していたのはそういうことか。

「確かに、高齢者の話を聞くということを、僕らはお金をいただいてやっているけれども、お年寄りの方の癒しにもなることもあると思えてきました。それも、考え方が変わったことの一つかもしれない」

── というと?

「『朝日自分史』のお客さんは、平均75、6歳。上は百歳に近い人もいます。なかには、これまで2冊も自分史を出してきたけれども、95歳で3冊目を朝日自分史でまとめてくださった女性がいて、本の完成後に伺うと、本を送った人から届いた何通もの手紙を見せてもらいました。『私はあなたに何をしてあげればいいの』とお礼を言ってもらえたりすると、やはり嬉しいですよ」

 部数は百部。しかし、届いた手紙の数は、中村さんが出した著作に対する読者からの便りの総数を上回るものだったという。

「読みたいと思う人のところにしっかり届いている。結局、個と個のつながりなんですよね」

 本の製作に入るまでの流れは、契約書を交わすなど厳密(記者取材コースで、取材回数が規定の4回よりも増えるとオプション料金が発生することもあるなど)である半面、現場では、個人の裁量の余地もあるらしい。
 中村さんの場合も、「お茶を飲みに伺いますよ」と、規定外で訪ねたりすることもあるとか。もちろん会社の業務ではなく、彼個人のサービスである。


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「話を聞いていると、面白い話に出くわすんですよ。戦後すぐ、昭和和22、3年の頃に東京の小金井で育ったんだけど、まだ馬でいろいろ運んでいたとか。ほんとうかなぁ、と思いながら、知らない話がいっぱいで面白いんですよ。
 この前、僕が書いた自分の本(『あなたを自殺させない 命の相談所「蜘蛛の糸」佐藤久男の闘い』新潮社)の、秋田の佐藤さんは、秋田で大成功した会社を倒産させた経験から、自殺の相談所を始めたユニークな経歴の人なんですが、今でも社長のマインドを持っている。その佐藤さんがよく言っていたことがあって。『ゴムまりは、強く押せば押すほど強く反発する。商売はそれに似ていて、サービスした分だけ返ってくる』というんです」

 佐藤久男さんは、社長時代、中古住宅を販売した相手のところをぶらりと回っていたそうで、お客さんからは「社長が訪ねて来た」というので喜ばれていた。そのうちに、訪ねた先でリフォームの発注が入るようになり、さらに「新築も頼むよ」と言われようになる。
 佐藤さんは、「だから、いっぱいサービスをするのが大事だ」と話したそうだ。
 さらに、こんな話をしていたという。たとえば、相手が10で満足だと思っているとしたら、余分に15をサービスする。


「よく商売は損して得を取れと言うけど、佐藤さんの話を聞いて、そういうことなのかなぁと思った。そこまでされたら、だれでもそう思いますよね。『ああ、あそこに頼んでよかった』と」

 

 10を15にするたとえが、中村さんにはフィットしたのだろう。自身も心がけるようになったと言いつつ、「ただ、これは僕個人の考えですけどね」と、中村さんは「個人」に力をいれた。
 中村さんが考える「自分史」の本づくりの根っこは、モノとしての本を生産するというよりも、ある種の「感情サービス」がともなうものらしい。

「そこでアサヤマさんからの質問にあった、『自分史というものについて、ノンフィクションの書き手としての興味はどうか?』ということでいうと、これは元大学教授の人なんだけど、地図作りに関する論文を本にしたいという注文があったんです。
 論文じたいは、学術的で硬いんだけど、会って話を聞いていくと、サウジアラビアに2ヶ月、ベネズエラに2年間、地図作りの仕事で行ったときのことや、父親が陸軍で地図関係の仕事をしていて、それで自分もそういう関係の仕事をしようと思ったとか、その彼ならではの物語がとても面白そうなんです。
 それで、そういう話をしっかりインタビューさせていただいて、論文とは別の章か、あとがきに盛り込んだらどうかとおすすめしてみたんです」

── 何か出てきそうな感じがしますね。

「ほかにも別の人ですが、アフリカの奥地で開発に携わった人がいて。現地のトイレは、中腰でしないといけないそうなんです。なぜかというと、みんなが排便したのが山盛りになっていて、ふつうにしたら、お尻にくっついてしまうらしい。
 異国のトイレの話って知らないことが多いし、そういう話って面白いでしょう。その男性も、研究リポートを本にしたいと話されていましたが、話をしているうちに何度も脱線する。トイレの話みたいに。こちらも、『それでは、その話とリポートをあわせて一冊の本にしましょう』と提案させていただきました。
 まだ契約にいたっていませんが、わずかな時間なのに、そういう話がいっぱい出てくるんですよ。ノンフィクションとして取材して書いたら、これは面白いだろうなと心をくすぐられることが」

 中村さんがいつも机の上に置いている山藤章二さんの『自分史ときどき昭和史』は、父親が早くになくなってから、妹とともに母の手で育てられた少年時代からの記憶が綴られている。しばしば、枝葉のわき道に語りが逸れては戻ってくるのが特色で、その「余談」が面白かったりする。それを承知して、山藤さんも「自分史」の書き方のコツとして、てんでんばらばらに浮かんでくる「余談」をいかしたほうがいいと書いている。

 ところで、今回のインタビューにあたって、中村さんのノンフィクションのデビュー作となる『路上の夢 新宿ホームレス物語』(講談社文庫、『段ボールハウスで見る夢』の文庫版)を読み返してみた。
 
 新宿のホームレスへの聞き取りだけでなく、登場するホームレスの人たちを知る人たち、彼らのきょうだいや元同居人たちに話を聞きに中村さんは仕事の合間に、遠方に、ときには宮城県三陸海岸まで足を運んでいる。もちろん、そうするまでにかなりの相手との信頼関係をつむぎ、プライベートに配慮しながらだが(東日本大震災後にも、ボランティアがてら現地を訪れて、連絡を取ったりしていた)。

 なぜ、ホームレスになったのか。ならざるを得なかったのか。せっかく仕事を得ることができたにもかかわらず、続けられないのはどうしてなのか。

 職場を転々とした彼らの背景には、わがままだとか、甘えだとかいった言葉では割り切れない要素がある。取材を重ねるにつれ「ホームレス」とひとくくりにすることを拒む、一人ひとりの「個」が見えてくる不思議なルポだ。なんと、突然、中村さんに太平洋戦争中のニューギニアでの人肉食の体験について、なんら特別なことを口にするというふうでもなく語る年配者に遭遇したりもする。

 その『路上の夢 新宿ホームレス物語』も、いまは古書や図書館でしか読めない。


「発売から2年半ぐらいたったとき、団鬼六さんに新宿の高層ホテルで取材したあとに編集者から携帯に電話がかかってきたんです。やっと重版か‼ と喜んで話し始めたら、『絶版』の連絡でした」

── 残念でしたね。


「『大いなる看取り』(新潮文庫)という本も、山田洋次監督の『おとうと』のクライマックスの参考書籍になり、重版もしましたが、2年少々で絶版。毎月、何点も新刊が出るから、文庫になっても、いまは命が短いんですよね。昔とちがって」

 中村さんは淡々と話す。
 団鬼六さんのインタビューは、2005年5月の夕刻だったそうだ。電話を受けたときの弾んだ心が一瞬にしてしぼんだのをよく覚えているという。

「センチュリーハイアットを出てすぐの広場を歩きながら、ふーっ、て感じでした」

 そういうのも含めて、せっかくなのだから「自分史」の職場で得たものをいつかノンフィクションにしたら、いいのに。相手あってのこととはいえ、そう思う。

 

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☟次回は、中村さんと府中の東京競馬場に行き、インタビューします。

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