スタントマンについて知りたい。(まとめ編)
スタントマンから「アクション監督」となった、
大内貴仁さんに聞きました。【6/6】
わにわにinterview① アクション監督って、どんなことをするの?
なぜ、ぼくらは、
いまも公園で練習するのか?
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アクションで観客を魅了する、その姿は映るが、存在は隠されている。ある意味、影武者のような職業がスタントマンだ。
スタントマンから「アクション監督」となった、大内貴仁さんに話を聞きました。今回が連載の最終回。で、今回すこしロングバージョンです。
いったん香港から帰国してからも、大内さんは友人を呼び出してはアクションの練習を重ねたという。
「どこが、出来ていないか」。ビデオに撮り、チェックする。アクションの基本動作を反復する、そのときのものだという動画を見せてもらった。
大内 練習嫌いというのは、いまでも変わっていなくて……。ぼくは何かやりたい技があったとき、出来るひとの動きやビデオを見て、とりあえず形にならなくても一度やってみる。
出来ないですけどね(笑)。
とりあえずやるんです。それで、出来ているひとの動きと自分の動きを徹底的に照らし合わせるんです。「あー、腰の位置が違うな」とか、「いまの足を上げるタイミングが遅いのか」とか。
コツを掴むってことですかね。身体能力的に出来ないことを除いては、数日で出来ることも多いです。
── たしかに比較対照すると、どこをどう直せばいいのか一目瞭然ですよね。
大内 たとえば『リアル鬼ごっこ』(08年公開・アクション指導兼任)のときに、壁をクルッと回る技をやっているんですが、前日の夜にネット動画で見て「すげー」って思って、当日の撮影の合間に試してみたら、奇跡的に出来た。それで早速現場で使うことになったんです。
もちろん、やってみたけど出来ないということもたくさんあります。
── そういうときはどうするんですか?
大内 いったんやめます(笑)。
時間をおくと、ふと出来るようになったりすることもありますしね。
── その「出来る、出来ない」というの変わり目は、子供のときに鉄棒の逆上がりできなかったのが、ふいに出来るのに近いのでしょうか?
大内 どうなんですかね。「自分は出来ない」という思い込みが強いひとは、やっぱり出来なかったりすることが多いですね。
アクロバットの練習とかは、やっぱり「恐怖感」もありますし。ぼくの場合は、レスリングをやっていたこともあって、どんな体勢で落ちても大丈夫っていう自信だけはあったので、「とりあえずやってみる」ってスタイルでした。
いまは、ひとに指導することも多いんですが、それでもやり方は一緒。「絶対安全に補助してあげるから、とりあえずやってみて」って感じです。初めてアクロバットするひとは「えっ⁉」ってなりますけどね(笑)。
そういえば後日、体育館での練習を見学に行った際のことだ。
跳び箱を、壁を蹴って飛び越える練習を次々と参加者がやっている。ノートを手にして「アクションの練習らしいぞ」と眺めているワタシのところに、大内さんが近づいてきて、
「やってみませんか?」と笑顔で促された。一瞬、こころが動きかけた。
もちろんトライはしなかったが、どこまでホンキなのかなこのひと、と思った。「やってみようかな」とノートを置いたらどうなったんだろうか。
指導の仕方は、それぞれ数人ずつ個々バラバラにやっている練習を巡回してまわり、集団を率いて「全員これをしろ」というのではなかった。バラバラさかげんに当初は戸惑いを感じたけれど(そういうのを目にしたことがなかったから)、しばらく眺めていると場の空気に妙な統一感もあり、「このひと、なんか学校の先生に向いてそうだ」と思っていた。
大内さん、じつは大学時代に教員免許を取得しているのだった。将来の保険のようなものだったらしいが。
大内 身体を動かすもののコツみたいなものは、脚力とか、ジャンプ力とかいった、日々練習していって成果が出るものは別にして、たいていのことなら「出来ている」のと「そうでない」との違いさえ理解できれば、誰もが出来るようになるんじゃないかと思います。
── そういうものなんですか?
大内 たぶん(笑)。て、このインタビュー、本来のスタントの話からどんどんハズレて、ぼくもつい熱く語っていますね。
いまこうして「出来る」と断言するのは、ぼくがゼロからやってきたからです。練習に来て「出来ないですよ」とか言われたら、もう負けん気が出ますね。「ヨーシ!! 出来るようにしたろう」ってなる。誰でも出来るようになるって思ってますから。
── いま思い出しましたがワタシ、自転車に乗れたのが高校になってからなんです。
大内 えらい遅いですね。
── 小四くらいのときに買ってもらったものの、すぐに乗れなくて、ずっと友だちの後ろに二人乗りさせてもらっていたんですよ。それで、高校になって通学に不便なのと「恥ずかしい」と思いだしたのもあって、一週間くらい夜更けにこっそり稽古したんです。
乗れるようになったときには、もう世界が開けたようで。大袈裟ですけど(笑)。
大内 へぇー。自転車で世界が変わるんですね。それは自分自身で「乗りたい」って本気で思ったからですかね。「やらなきゃ」じゃなくて、「やりたい」って強く思う。その違いなんかな。
猛練習したからといって、中国雑技団のようなことを誰もが出来るなんて思わないですが、ある程度のことはコツさえ掴めれば出来るような気がしますね。
しかも、ぼくの練習場所は、ずっと公園の草むらでしたから。体育館でちゃんとマットを敷いて、安全のために補助もついているのに、もじもじして「ああ、恐いー」とかいうのを聞いたら、ふざけんなと思いますよ(笑)。
大内さんが何者でもなかった頃の練習場所は、常にお金がかからない、撮影のビデオカメラにしても、据え付けの自撮りだったという。
大内 『るろうに剣心』シリーズで、スタント・コーディネーターをさせてもらったときに、アクション監督の谷垣(健治)さんが、けっこう自由にやらせてくれた。いままでで一番やりやすい環境をこしらえてくれたんですよ。
レッスンや殺陣作りのアイデア出しも、しっかり出来る。「もし、これで出来上がったアクションがダメだったら、今後さらに日本でアクションを作りにくくなるな」っていうプレッシャーはありましたね。この作品が日本のアクションを変える、何かのきっかけになればとも思ってましたし。
「ぼくたちをジャッキーが魅了したように、今度は、ぼくたちがひとを魅了したい」
ひとには言わないものの「ここが勝負どころ」と内心高揚するものがあったという。
── ところで大内さんが率いる「A-TRIBE」は会社じゃないんですよね?
大内 フリーランスの集まりです。いまは、まだ一つひとつの作品にちゃんと向き合って仕事していきたいですから。
こないだ、昔の自分のメモ帳を見返したら、「いまは香港でスタントをやる。日本のトップクラスのスタントマンになる」と書いているんですよ。
会社にしてしまうと、維持するためにどんな仕事も、どんな状況でも受けないといけなくなりますよね。自分の理想とするアクションをまだつくりあげられてもいないのに、作品を掛け持ちするようなことにでもなったら、一つひとつの作品に対する自分のクオリティーが下がっていきますから。
それに、同時にいくつもの作品に愛情を注げるような器用な人間じゃないですし。いまは、時間をかけても面白いことをやれる環境をつくることを優先させたいなって。まだチャレンジャーなんで。
大内さんが、チームをつくり、さらに彼の周囲にメンバー以外にもアクションを習いたいというひとたちが集まるようになったのは、香港から日本に足場を移してからのことだ。当時と変わっていないのは、いまでも電話一本で「面白いことが浮かんだので、〇日、公園に集合」と召集をかけると、固定メンバーだけでなく、ひとづてにやって来るものも含め、多い日だと20~30人が集まってくる。練習のためだけに。
大内 香港にいたときから、「動き」をつくって撮影し、編集するというのを繰り返しやってきました。ぼくがいま仕事で使っている技術のほとんどがその中で学んだことです。もちろん、撮影現場などで身についたこともたくさんあります。
ただ、どうしてこういう手間のかかる準備をしているかというと、昔から何でも一度自分で試してみないと理解できないんですよ。バカだから(笑)。
── バカはないでしょうけど。でも、どうして公園なんですか? 一度、見学させてもらったときに、メンバーの友人が結婚するというので、お祝いにアクションシーンを盛り込んだビデオを作られていて、公園でその撮影している間の空気がめちゃ楽しくて、「こりゃなんだ?」と興味をもったんですよね。
大内 あのときは、なにやっているんやろうとびっくりされたでしょう(笑)。
── 特撮ヘンシンもののショート・ムービーみたいなものを撮られていて、大内さんがハンディカメラを構えて、その場でストーリー展開からカット割りもポンポンと決めていかれる。即決なんですよね。しかもチラッと撮ったものを見せてもらうと、編集もしていないのにそれらしい物語になっているんですよね。
アクションはもちろんプロフェッショナルで、子供なんかも喜びそうな全員でのダンスシーンもあり、ちょっとコミカルさもあり。覗き見していてすごく楽しかったです。
大内 恥ずかしいものを見られてしまったなぁ(笑)。
結局、ひとを驚かしたり、楽しませたりするのが好きなんでしょうね。だから結婚式ムービーであっても全力になってしまう。
まあ、それはともかく、いまだに公園に集まって練習をやっているのは、やっていて、まだわからないことが多いからです。「もっと面白くなる方法があるんじゃないか」「もっといいカット割りがあるんじゃないか」って、試してみたくなるんですよ。
もし自分がそういうことをしなくなるとしたら、これまでの経験でもって仕事をするようになり、創作意欲がなくなったってことかもしれないですね。
たぶんそうなったら、ぼくはこの仕事やめますね。
── 仕事バカなんやねぇ(笑)。
ふだんの練習ですけど、あれは次に予定されている具体的な作品のためにするものでもないんですか?
大内 ある作品に向けてすることもあるし、そうじゃない場合もあります。大作になると半年以上一つの作品に関わるんですが、終わるとしばらく暇な日が続いたりするんですよ。
── そういうときに「時間があるから練習しておこうぜ」ということになるんですか?
大内 まあ、遊びの延長で、そういう時間に当てたりしています。新しい技を公園で試したり、実験していたことが後々になって役立つことも多いんです。
こないだ日野さん(※欄外註1)が参加した海外の作品とかも、一ヶ月以上練習とアイデア出しをしてたみたいです。もちろん、それは予算の中に含まれていますが。そういう環境はいまの日本では望めない。だったら自分たちで準備しておくしかないんですよ。
── 日野由佳さん、佐久間一禎さん、柴田洋助さん、それに大内さん。「A-TRIBE」のメンバー四人全員がスタントマンのチームなんですよね。
大内 そうです。彼らは、ぼくのことを「師匠」と呼ぶけど、ぼくが彼らを育てるようになったのは、自分が思い描くアクションを作るときに動いてもらうため。「いつかオレのために役立ってくれよ」っていう、ギブ&テイクですね。
話を聞いていくにつれ、「チーム」ではあっても「会社」にしないというのがユニークに思えた。しかも、練習にはメンバー以外にもスタントマンや役者のひとが自由に参加している。垣根がない。あるにしても、ロートルの取材者に「ちょっと、試しにやってみません?」と声かけするくらいにハードルが低そうだ。要は、やる気なのだろう。
大内 香港から日本に戻ってきて衝撃だったのが、ある現場でね、「衣装を汚すな」と言われたんです。アクションの撮影中にですよ。
ワイヤーアクションをするっていうのに「衣装に穴をあけるのは困る」って言われたこともありました(※欄外註2)。
それくらい日本のアクション映画に対する意識は低かったんですよ。それは予算の問題だけじゃなくて、現場レベルでのアクションの撮影に対する抵抗があったように思います。
── というと?
大内 アクションの撮影って、たしかに他のスタッフからしたら、めんどくさいんですよ。衣装は汚れるし、セットは壊れるし、ケガはつきものだし。そういう状況で妥協しながら作っていくアクションって、結局はミニマムなものにしかならないんですよね。
── 予算とかのこともあるんでしょうけど。
大内 予算の問題は、どんな作品にもある問題だから仕方ありません。面白いものを作るには、作品に入る前の準備や環境づくりがかなり重要なんですよ。
入ってからだと、「これでもう充分面白いですよ」と言われてしまう。予算の問題や日数が限られているのはわかるんですが、いちばんガックリくるのは、「これはアクション映画ではないので」と言われたりする。でも、出来上がった予告編では「アクション大作」と宣伝されている。なんてこともありますから(笑)。
アクション監督には、「演出力」のほかに「交渉力」も欠かせないものらしい。練習をビデオに撮影したりするのも「交渉材料」の一つとなる。交渉ごとの前には、想定問答集をもとに「ひとりリハーサル」もする。大内さんのやり方が面白いのは、それらの具体の一つひとつを現場で身につけてきたからでもある。
大内 ぼくが行った時の香港の映画は、ちょうど衰退期だったんですよ。アクションの製作も中国に移行していて。一度日本に戻って香港に戻ったりした時には、連絡を取ろうとしても、頼りにしていたひとがつかまらなかったりして、仕事がないときはカンフー・スクールに通っていたんです。
そういう行って帰ってを繰り返して、三年くらい経ったころかなぁ。「もう潮時かな」と思っていたんです。スクールの先生が「タカ、いま、香港でトップクラスのスタント・チームのひとがここに来てるぞ」と言うんですよ。
ブルース・ローといって、香港カー・スタントの第一人者でもある。『ポリス・ストーリー』で白バイでコケてるひとです。といっても、わからないですよね(笑)。
── すみません。ファンなら、オオッ!!と盛り上がる場面なんでしょうね。
大内 で、そのブルース・ローと話をさせてもらうことになって。ぼくが「スタントマンになるために日本から香港に来ました」って言うと、ブルースが「いつから香港にいるの?」と訊くから、かれこれと話した。
「そういえば、以前、日本からスタントマンを目指して来ているといって、FAXが届いていたことがあったなぁ」と言うんですよ。
── 香港に来たばかりのときに送った、あの一枚なんですか?(※前回のvにお戻りください)
大内 そうなんです。初めて香港に来たときに、電話帳で書き出して送ったのあのFAXです。
「ああ、それ、ぼくです‼」って言ったら、ブルースもかなり驚いて、「あれからずっとこっちにいるのか!?」って。あの時はシンガポールに出張だったらしく、帰ってからすぐに連絡入れたけど、連絡がとれなかったらしくて。
ものすごい遠回りをすることになったんですが、あのFAXがあったので、ぼくの本気度も伝わったみたいで、「来週ジャッキーのCMがあるけど、来るか?」ってなったんです。
── ほほお。
大内 めぐりめぐって、ようやくジャッキー・チェンの撮影現場に参加することになったんです。
じつは、香港に着いて間もない頃に、たまたま宿泊していた近くの公園でジャッキー・チェンが撮影に来てたんですよ。
「おい、ジャッキー来てるらしいぞおー!!」て、まわりのみんなが出ていったけど、ぼくひとり残ったんです。「仕事で会わないと意味がない」って、強がって。ほんとうは見たくてたまらないのに(笑)。
だから、あのときは、「いま自分は子供の頃から何度も観ていた映画の中のひとと同じ撮影現場にいる」。こないだまで大学生やってて、なんのプランもなく香港にやって来て、アクション始めて、すぐ目の前にジャッキー・チェンがいるんですから、なんか不思議な感じですよ(笑)。
── すごすぎて「わからなくなる」というのは、わかります。
大内 それで、ブルースが僕に、ジャッキーのスタンドインをさせてくれたんですよ。ワイヤーを使って壁を登ったり、ポーズをとったり。いま考えるとそんなに難しいことじゃないんだけど、もうガチガチに緊張したのだけは覚えています。
間違いなく、このことが大きな分岐点になりましたね。
何度も道が閉ざされて、何回もやめようと思ったけど、なんとかここまでこれた。「もう少し頑張ろう」ってなりました。
まぁ、その後も順調にいったかというと、そんなこともなく……これ話し出したら、あと2時間はかかるかなぁ(笑)。
アハハハハ。時計を見たら7時を過ぎていた。喫茶店に入って、動画を見ていたら楽しくて5時間? 6時間かな。コーヒー一杯しか頼んでなかった。お店の人、ごめんなさい。
お会いしたのは都合3回、その後メールのやりとりだけで、ふと思い浮かぶ大内さんの些細な逸話といえば、練習後に後輩の役者さんを呼びとめ、「あまっているTシャツがあるから取りにおいでよ」と声をかけていたことだ。
衣装持ちかと思ったが、そうでもないらしい。面倒見がいいのだ。けっこう指導は厳しく「鬼」といわれているらしい。それでいて、ひとが集まってくる。人徳ですね。
今回のインタビューの原稿は、ご本人に確認してもらいながら作業を進めていったけれど、聞きとりちがいやこうしてほしいという修正意見を頂戴しながらも、最終的にどうするかの判断はお任せいただいた。ふだんの大内さんの仕事の仕方もおそらく、指摘して本人に委ねる。そうういうやり方なのかもしれない。
ひとによっては当たり前に思われるかもしれないが、「ぜったいこうしてくれ」ふうに指示されるケースが少なくないから、判断を委ねるとスタンスはむしろめずらしい。加えて、大幅にエピソードの加筆をしていただりもした。大内さんは新しい現場に入っていて、寝る間もない撮影と作業の合間だった。
たとえ5時間話を聞いたって、エピソードの細部をぜんぶ拾えているわけではないので、加筆はすごく嬉しかった。一回目のインタビューイが、ほんとうに大内さんでよかった。と思いつつ、反省は、肝心のスタントマンの仕事の本筋の話を聞けてないのでは…。
嫌がられていなければ、機会をあらめて呼びとめてみたいような気になっています。
☝インタビュアーの心の声でした。
取材・文責=朝山実
撮影=山本倫子
♯ 桜の頃、都内某所の公園で。メンバーの友人の結婚式の「お祝ビデオ」を撮影中(写真*朝山)
註1)日野由佳さん
註2)衣装の下に「ハーネス」と呼ばれている帯状のベルトを着用。ベルトには首や腰などつりさげるための輪っかが複数付いていて、命綱にあたるワイヤーを通すために穴をあけざるをえなくなることもある。
ワイヤーアクションの画像を探していたら、こんなのを見つけました☟ 体験ものルポですね。中の動画が面白いです。
【ウラカタ伝に登場してもらった人たち】
➀アクション監督が語る、「スタントマン」になるには☞大内貴仁さん
③島根で「福島」について考える「日直」歌手☞浜田真理子さん
❹「スンタトマン」の世界を漫画にする☞黒丸さん
⑤「自分史」づくりが面白いという☞中村智志さん
⑦「困ったら、コマムラ」の便利屋☞駒村佳和さん
❽見入ってしまうメオト写真を撮る☞キッチンミノルさん
⑨タイで起業した写真家☞奥野安彦さん