「ウラカタ伝」

ふだん表に出ないけど、面白そうなことをしているひとを呼びとめ、話を聞きました。

黒丸さんの漫画家としての歩み あるいは、特別な何物かにならなくてもいいんじゃないかという話。

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わにわにinterview「ウラカタ伝4 」漫画家・黒丸さん

スタントマンに憬れを抱く少年の成長物語、『UNDERGROUN’DOGS アンダーグラウン・ドッグス』の漫画家・黒丸さんに聞きました。【4/4】  

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インタビュー・文=朝山実
  写真撮影©山本倫 

 

 黒丸さんインタビューの最終回。せっかく仕事場にお邪魔させてもらったので、黒丸さんの仕事道具などを見せてもらった。
 描く手順。まず原稿は、紙に描く。使っているのはペン。小瓶に使い終わったペン先がいっぱい溜まっていた。仕上げの段階で、パソコンに取り込むのだという。 

 

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── 黒丸さんが欠かさず描くのはどういうところですか? 

黒丸(以下同) 人物に関してはモブ(群衆)も含めてほぼ全部わたしが描いていますが、たまに上手いスタッフが入ってくれているときには、背景込みの人物絵とかを描いてもらったりしていました。 

── 『クロサギ』もそうですが、おじさんを描くのが上手いですよね。

 ハハハハ。 

── どちらかというとオジサン好きですか?

 美人とかイケメンよりは好きですよ。苦手なのはイケメン。 

── それはまたどうして? 

 何がイケメンなのか分からない。どちらかというと、この男の人はいい顔をしているなぁというときは、それなりの年をとった人だったりして。女性も、カワイイとか言われる人の可愛いさがわからないんですよ。美的感覚ということでは、鋭くないのかもしれないですね(笑)。
 それにオジサンに関しては『クロサギ』で嫌というほど、もういろんなタイプのオジサンを描かされましたからね。それなりの立場にいるけど悪そうな人とか。そういうキャラクターの参考になったのが、地方の市議会とか県議会の議員の写真でした。 

── へぇー。 

 正月に実家に帰ったら、新聞に新年の挨拶広告が挟まっていて、そこに議員の人たちの顔写真がずらりと並んでいる。あれはいい資料になりました。それなりの立場にあり、本当にいい顔をしていて、尚且つ、笑顔にすら下心がうかがえる(笑)。 

── ハハハハハ。 

 俳優さんを真似て描いたりしたら分かっちゃいますけど、地方の議員さんだと読者で気づく人はいないですからね。 

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── 漫画家さんは裏方になるんですかねぇ。 

 うーん、そうですねぇ。作品が表としたら、描くほうは裏方なんじゃないですか。なかには、カリスマ的に人気な先生もいらっしゃいますが、そういう先生方でも仕事場にこもって原稿を描いていて、ふだんの生活は地味だと思いますよ。描くのって、すごく時間がかかるんですよ。 

── 漫画家さんにインタビューを申し込むと、顔写真はNGと言われることが多くて。自画像なら、とご提案をいただくことがあるんですが。 

 恥ずかしいんだと思いますよ。わたしも、こうやって取材を受けながらも、わたしでいいんですか、というのがありますし。ウラカタでいたいと思う人ほど、顔を出さずにやってきたいと思う。でも、矛盾するんですが、同時に話をしたいというのはあるんですよ。
 わたしも昔は恥ずかしくて、ぜったい(インタビューされるのは)嫌だと言ってましたから。でも『クロサギ』が映画になったときにプロモーションもあって、嫌だとか言ったりしている場合じゃないから、と説得されて、それでふっきれたというか(笑)。 

 

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 機転が早く、黒丸さんは会話を引き出すのが上手で、取材をして描くというやり方は合っていそうに思えた。なにより好奇心が旺盛なのがいい。 

── ペンダコとか、あるんですか? 

 ありますよ。中指のところに。 

── 手の甲を写真に撮ってもいいですか? 手って、職業が見えるでしょう。

 ですよね。でも、甲はダメ。ダメです。いまは爪がきれいじゃないので。 

── そうかぁ、残念。
 後先になりましたが、そもそも漫画家になりたいと思われたのは何時頃なんですか? 

 最初は幼稚園のときだったんですよ。うちの両親は漫画が好きで、小さい頃から家の中は漫画だらけ。『ゴルゴ13』は幼稚園のときに読んでいましたから。濡れ場とか見て、何してんだろう?と(笑)。 

── ほかには? 

孔雀王』とか。単行本だったんですけど、これもエロエロで(笑)。そうだなぁ『ドカベン』もあったな。それらは父親の蔵書で、母親は萩尾望都先生や手塚(治虫)先生ですね。
 それで、わたしが漫画家という職業を意識したのは『Dr.スランプ』だったんです。父親が買ってきたんですが、話と話の間に、漫画の描き方みたいなものが面白おかしく書いてあったんですよ。それを見て、なりたいと思ったんです。
 でも、まだ幼稚園の頃って、絵を描いてもヘタっぴで。図工とかも下手だし。それで、ああ無理とあきらめちゃったんです。 

── めちゃ早い挫折ですね。 

 ですね(笑)。それからしばらく空くんですが、母親が、童話の描き方みたいな本を買ってきてくれて、見よう見まねでお話を書いたりしていたのが小学校の高学年か中学に入った頃。ライトノベルが流行っていて、誰に見せたわけでもないんですよ。
 ここまではどうということもない話なんですが、転機は高校生になってから。大友克洋先生の『AKIRA』と出会った。週刊誌サイズの大判の本だったんですが。すごい!!と思って読んでいたら、鼻血が出ちゃったんです。それだけ興奮したということなんですが。もう泣きましたよ。 

── 泣いたんですか?

 ポタッポタッと、大事な本の上に血が落ちて。 

── それは本を汚してしまったから(笑)。 

 そうです。それで漫画家になりたい、じゃなくて「大友克洋になりたい!!」と思ったんです。でも、大友さんを信奉して漫画家になったという人はもう一杯いるので、いまさら口にするのもおこがましいんですけど。 

── 大友作品で初めて読んだのが『AKIRA』だったんですか? 

 正確にいうとBSのテレビで『漫画夜話』という番組があって、『童夢』を紹介していたんです。それを見てすぐに本屋さんに行ったら、なくて『AKIRA』があったので買ったんですよ。それから手に入るものはぜんぶ買いました。 

── 『気分はもう戦争』とかは読みました。

 あれも、すごい好きですよ。『ショートピース』とか、あと『彼女の想いで……』というSF作品が入った短編集も好きでした。遅れてきて単行本を読んだのが95、6年だったかな。大友さんはすでに映画のほうに行かれていたんですけど。 

── 黒丸さん、生まれは何年ですか? 

  80年です。 

── そうか、若いなぁ。 

 そうですかぁ(笑)。で、大友さんは絵のデッサンが完璧な人なので、大友さんになりたい。そう思って、好きな絵のコマとかを真似て描いていたんです。それまでデッサンとかやったことなかったんですけど、あの時サイコーに上手い人を真似たのはよかったと思っています。 

── 小説家の人に修行時代の話を聞くと、好きな作家さんの文章を模写するというのはよく聞くんですが、漫画家さんの場合にもそういうことはあるんですか?

 ありますよ。まるまる一冊、模写するという人もいますから。 

── そうやって腕を磨く、ということですか? 

 いやぁ、それは単に愛が爆発しているだけかも(笑)。たとえば、スタントの人たちが「俺、ジャッキーになりたい」といってジャッキー・チェンの真似をするのと同じことかもしれないですね。 

── それは楽しい時間? 

 練習だと思ったりしていませんからね。上手い人に憧れないとデッサンとかの基本は上達しませんし。いま第一線で活躍されている売れっ子の先生方のなかにも大友さんに影響を受けた人はすくなくないですが、みなさんその後に個人のオリジナリティを獲得されて大成されていらっしゃいます。そういう先生方たちに比べると、わたしはもう小粒すぎて…。
 でも、大友さんに憧れてよかったと思っています。抜けきるのが大変ですけど。 

── というと? 

 見る人が見ると、これは誰の影響を受けたかなんていうのは分かっちゃいますからね。大友さんは、そういうのがまた多いんですよ。大友チルドレンと言われたりして。

── 強い影響を受けたぶんだけ、独自性を出す際には大きな壁になるんですね。次の段階のオリジナリティはどうやって獲得するんですか。 
 
 わたしは、どんなに練習してもこの人にはなれない、と気づいたときが出発点ですね(笑)。 

── 野球でいうと長嶋は好きだけど、自分は長嶋茂雄にはなれないというようなことなのかなぁ。

 そうですね。そうしたら、ちがうショートの名手になってやろうとか、ほかに道を探す。 

── スキマを探すわけだ。

 そうですね。着ようとしていた服を、捨てる。着られる服を探していくうちに、オリジナリティは出ていくんだと思います。

── 着られる服ね。たしかに個性って、そうかも。
 そこで一度断念して、あきらめる。リセットしたときに、そこまでの経験はゼロにはならないのかな。 

 ゼロではない、と思います。わたしが大友先生を真似しまくったことで良かったと思うのは、デッサン力というか、骨格のしっかりした絵を描く技術は身につきましたから。
 おかげで、どんな絵を描いても、絵そのものが崩れるということはない。大友さんなりたいと思った時期はすごい勢いで描いていましたからね。 

── その後、ほかの作家さんを真似るということは?

 なかったですね。あれだけやって、なれないとわかったんだから。それはもうするべきではないと思いました。4、5年は「大友克洋になりたい病」にかかっていましたからね。 

── 激しい片思いみたいだな。じゃあ、自分は憧れたものになれない、と踏ん切りをつけ、新たにオリジナルを確立するまでどれだけかかったんですか。

 自分の個性ということに関しては、まだ自信をもっているわけではなくて、ただ、絵としては、そんなに嫌われない絵だとは思っているんです。個性的であるがゆえに読む人を選ぶ絵というのがありますが、わたしは嫌われもしないけど熱狂的に好きだという人も多くない。絵単体でいうと、わたしはまだ個性が確立しているわけではないので、自信のなさにつながるんですけどね。 

── そうなんですか。

 あと新人の人の作品を見ていて分かってきたのは、無理して出そうとする個性って「個性」にはならない。流行りのスタイルを真似ただけで、(あなたには)その服に似合っていないよ、ということになるんですよね。
 個性って、編集さんから「これ要らない」「あれ要らない」とダメだしを受けたりして直すんだけど、それでもなくならないものだったりすると思うんですよ。いまは、個性ってこれが「私の個性」と打ち出すものでもないのかなぁ、と思ったりしているところですね。 

── トラックをぐるぐる回って、ちがう境地にたどりつく長距離ランナーみたいなだなぁ。黒丸さんはいま現在、自分に満足していますか?

 いやぁ、していないです。 

── 何が足りていない、と?

 クロサギ』の連載が終わったときは、いい人たちに囲まれて、いい作品が出来たという達成感はあったんです。でも、作家として、いま現在ということでは、次をどうするか。頭はそっちに向いていて、満足とは程遠いです。
『アンダーグラウン・ドッグス』にも描きましたけど、「何かになりたい、何かになれるかも」という主人公がスタントマンの世界に惹かれていくのは、わたしの中の自分の可能性を試したい、確かめたいというのに通じているものだと思います。 

── 主人公に黒丸さん自身が重ねる部分があるということですか? 

 彼はハタチ前で、わたしはいま35歳。だから「わかる。わたしもそうなの」じゃなくて、「わたしも、そうだったなぁ」という感じですね。

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 何物かにならないと愛されない。存在を認めてもらえなかったりする、という強迫観念がすごくあったということでは(主人公の)彼は、わたしの昔を見るようなところがある。でも、いまはそれだけじゃないよね、というふうにゆるく見てとれるようになったというのはあります。
 仕事に対する焦燥感とか、焦りは、いまでも無いことはないんですが、若い頃はもっとすごかったんですよ。本当に何か特別なものを持たないことには、自分がもたないという謎の恐怖感があって、そういうのを思い出して彼をつくったということですかね。 

── 謎の恐怖感ね。何物かにならなければ、という焦りは思春期に特有のものでありつつ、黒丸さんの世代はより強いプレッシャーとなっているのかもしれないですね。 
 
 でも、いまのわたしがそうであるように、あと15年もしたら、そういうことに悩まなくてもすんでいるかもしれない。何物にならなくてもいい、と思うんです。何物でもなくても幸せになれるって。 

── 逆に黒丸さん自身は、漫画家になるという以外の進路を考えたりはしなかったんですか?

 なかったですね。

── そうなんですか。

 ほかの仕事もバイト以外したことないですし。実家のある地元の本屋のバイトで、それも十ヶ月だけ。すぐに東京に出てきちゃったし。だから社会経験が無いことが、わたしは『クロサギ』を描いているときにコンプレックスでした。 

── それで他人の仕事を取材してみたいというのもあるんですね。

 たとえば、会社内での電話の取り方とかわからないですから。

── というと?

 外から電話があって、「○○部長は、いらっしゃいますか?」と聞かれて、部長を付けずに「○○ですね」と答えないといけない。そういうことすら知らず、編集さんから「一般な会社ではこうだよ」と指摘されると、けっこう傷つくんですよ(笑)。すごい恥ずかしい。 

── いいじゃないですか。ビジネス村の一般常識ではあるにしても、「覚えておきますね」でいいと思うけど。 

 いまでも、(恥ずかしくて)クククーッとなりますよ。単なる自意識過剰なんですけどね。

── 人間のコンプレックスって意外なところに潜んでいるものなんですね。 

 そうなんですよ。

 

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── では、そろそろインタビューを終えますね。〆の質問をさせてください。まず、いちばん古い記憶はなんですか? 

 うーん、そうだなぁ……。パッといま思い浮かんだのは、母親に映画に連れて行かれて『南極物語』を観たんです。タロ、ジロの。あれ、何年の公開でしたかねぇ(と、スマホを検索)。

── 主演は、高倉健でしたっけ?

 そうです。……83年ですね。ということは、わたしは3歳か。ものすごく恐くて、スクリーンが見られてなくて、ずーっとうつむいていたんですよ。
 覚えているのは、打ち上げられた鯨の骨。
 そうか3歳かぁ。ずっと4、5歳だと思っていたんですけど。
子供の頃、映画とかテレビが苦手で。現実との区別がつかなかったりしたんですよ。だから恐くてしようがないんですよ。人が襲われたりすると、自分が襲われたように感じる。それこそ『ドラえもん』もダメ。のび太がいじめられる場面になると恐くて、わぁーっと泣いている。それからすると、もう南極ですよ、犬が取り残されるんですよ。もう恐すぎじゃないですか(笑)。
 
── だけど、下向いていても、音は聴こえるでしょう。

 だから曲は覚えています。でも、わたし、あれから一回も見直したことがないですから。あのときは高倉健も、ただのオッサンですしね。それより、鯨の骨でしたね。

── ハハハ。では、次いきますね。一番目は答えず、二番目に大事なもの、大切なことはなんですか?

 うーん、……これも深く考えずに、パッと浮かんだものでいいですか。

── はい、どうぞ。

 わたし、姉がいるんですが。4つ上で、二人姉妹なんですが、子供の頃は姉のことがすごく恐かったんですよ。なんだろう。
 あんまりお姉ちゃんっぽくないというか、気ままでマイペースで、どちらかというと末っ子タイプ。長女というと、親から「あなたはお姉ちゃんなんだから、我慢しなさい」と言われることが多いでしょう。だけど、姉はそういったお決まりのフレーズをあまりに親から言われずにいたので、年齢差=力関係に感じていたのかもしれないですね。でも、いまはその姉とはすごく仲良くて、めちゃくちゃ好きなんですよ。
 
── 何が変わったんですか?

 姉が、お姉ちゃんっぽくなったんですよ。お互いトシを食ったというのもあると思うですが。姉は派遣で働いているんですが、大きな仕事を取り仕切る立場にあって、そういう姉に対する尊敬と、結婚してから姉が落ち着いたというのもあるし、姉が姉らしくなると、こちらも妹になれるんですよ。

── 姉が姉らしくなれるか。面白いですね。

 面白いですか?

── はい。親子やきょうだいの関係も、年齢とかによって変わるというのは。

 それで、わたしが結婚するというときに、姉がものすごく喜んでくれたんですよ。うちの家族がドライで、二人姉妹にしては帰省のタイミングがずれると二年くらい会わない。そういうのがザラだったりしたんですけど。結婚をするというときも「オメデトー」と言われるんだけど、淡白で。わたしとしては、今後の生活はこうするんだよ、というアドバイスや励ましをいっぱい聞かされると思ったら、両親からそういうのはまったくなくて(笑)。

── ハハハ。ありがちなドラマ展開にならなかった(笑)。でも、いいですよ。逆にリアルタッチの家族で。ご両親の職業は何なんですか?

 母親は専業主婦で、父親は勤め人で、定年退職したあともその会社で働いているんですよね。というか、途中で両親は離婚したので、いまは別々に暮らしているんですけどね。

── あらま。

 だから本来の親子関係よりも複雑ではあって。精神的な意味で。そういうこともあって、姉が「お姉ちゃん」になったというのが嬉しいんですよ。

── そうか。「ふつうの家族」っぽくなったということですね。

 それにヨメ同士になると立場が同じになったというのもあると思います。ダンナさんの問題とかね、話し合えるし、そうなるといまは最高に愛しい存在で。話が長くなりましたが、だから、質問の答えは「姉」です。たまたま今日、姉の誕生日なんですけど。

── 何かお祝いをするんですか?

 このあいだ姉のダンナさんの身内に不幸があって、そのときに姉に会ったんですが、手作りのものを渡したら、びっくりするくらい喜んでくれて。それもあって、いま思い浮かんだんですよね。

── では、最後の質問。最近ちょっとだけ嬉しかった出来事は?

 ちょっと、ですか? なんだろう。……えーっと。……ちょうど、いまダンナさんは仕事で神戸に行っているんですよ。それで一人になって何もすることがないと嫌だなと思っていたら、今週は9件、人と会う用事が入った。仕事の打ち合わせとか家の修繕とかも入っているんですが。寂しいだろうな、というのがなくなったのが嬉しいことですかね。でも、それしか思い浮かばないって、せつないなぁ(笑)。

 

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【編集室より】

「モブ」という群衆の一人ひとりも、自分で描くというのは漫画家さんにとって基本なのかどうなのかわかりませんが、そういえば手塚治虫さんもそうだったなぁとテープ起こしをしていて思いました。ヘン顔のキャラクターが群衆のなかに混じっていて、大きなコマに見入っていたなぁと。
 テープを聞きなおすたびに、ここでもっとそのことを聞かなきゃと自分ツッコミを入れたりすることはしばしばですが、今回はモブでした。重要なことを聞き落としたんじゃないかなぁと。

 ふだんメディアで大きくとりあげられたりするわけでもないけど、こつこつ仕事をしていて、日常が楽しそうなウラカタさんをインタビューするという趣旨で始めたこの「ウラカタ伝interview」ですが、前回の浜田真理子さんといい、今回の黒丸さんといい、おふたり続けけて裏方とも言いがたい立場なんだけどお頼みして登場してもらいました。

 かれこれ20数年、インタビューして、取材して、話をまとめる仕事をしています。
 ふだんは本を出した作家さんや映画の監督さん、俳優さんといった、取材を受ける機会の多いひとたちに話を聞き記事にまとめる仕事をしていて、一回一回刺激もあり、面白いので続けてこられたと思っていますが、仕事でもないこの連載を始めてみて、いまちょっと嬉しいのは、時間があるとオマケのように質問してきた「3つの質問」の完全バージョンを今回載せてみたことです。
 なんや、ゆるいやりとりやなぁと思われたら、「ごめんなさい、そういうインタビュアーなんです」というしかないんですが。「のりしろ」という言葉が好きで、ずいぶん昔ですが、ある俳優さんをインタビューをしたときに、
「僕らの仕事は、どれだけ自分の糊代をもてるかなんですよ。アサヤマさんのライターという仕事もそうじゃないですか」とシブイ声で話された。
 もらった役を自分のものにするのは、決められた台詞や設定された枠の外の工夫いかん。糊付けされて、完成してしまうと目に見えない努力が役者の仕事かもしれない、という趣旨で話されたと記憶していますが、聞いていて急に瞳がうるんでしまったんですよね。
 ああ、この俳優さん、いまオレの名前を言うてくれた「記者さん」じゃないんだわって(笑)。感激ポイントはそこかいと失笑されそうですが、たくさんの人と会う職業の人だと、イチゲンの雑誌のライターの名前なんか気にしてられないですからね、名前を呼ばれないことに慣れていくのも仕事みたいなものではあるんだけど、たまにそういうひとに出会うと「あっ、のりしろさん」って思うんですよね。

 黒丸さんの話のなかに、若いときは何物かになろうとしていたけれど、いまは特別な何かになろうとしなくてもいい。そう思えるようになったら、という話が出たとき、浜田真理子さんの「あなたへ」という歌が思い浮かんで、そうかそうか、それぞれは点のだけど、ちゃんとジブンの中では、このひとたちはつながっているんだなぁと思えた瞬間でした。というわけで「ウラカタ伝」ぼちぼち、続けていきます。

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【ウラカタ伝に登場してもらった人たち】

アクション監督が語る、「スタントマン」になるには☞大内貴仁さん

噂の「りんご飴マン」さんに会いに弘前へ☞りんご飴マンさん

島根で「福島」について考える「日直」歌手☞浜田真理子さん

スンタトマン」の世界を漫画にする☞黒丸さん

「自分史」づくりが面白いという☞中村智志さん

 情熱大陸」への偏愛漫画が話題の☞宮川サトシさん

「困ったら、コマムラ」の便利屋☞駒村佳和さん

見入ってしまうメオト写真を撮る☞キッチンミノルさん

タイで起業した写真家☞奥野安彦さん