あの山藤章二さんから、お墨付きをもらった編集者
【わにわにinterview ウラカタ伝⑤】
「自分史」の世界は意外と奥深いという、
編集者・中村智志(「朝日自分史」編集長)さんに話を聞きました【1/3】
インタビュー・文=朝山実
写真撮影 © 山本倫子
母さんあの話、また聞きたいな。
今では想像できない壮絶な話だよね。
うちの娘がもう少し大きくなったら、
絶対聞かせてやりたいな。
それから、母さんが作る
おせちのレシピも教えてほしい。
朝日新聞の紙面に掲載された「朝日自分史」の広告コピーからの抜粋だ。
父親が他界し、兄弟で、実家でひとり住まいとなった母のために何かできないだろうかと相談を交わす。前後の文章から、そんな様子がうかがえる。
ふだんなら見過ごしていたかもしれない。レシピという言葉に胸があつくなったのは、つい先日、母を看取った友人からこんな話を聞いたせいだろう。
昨年のこと。友人から、手づくりのらっきょうをもらった。「実家からたくさん送られてきたのでお裾分けです。田舎の母の手作りなので口にあわないかもしれないけれど」と、お試し程度の小瓶に入ったものを頂戴した。
唐辛子の効いた素朴な甘辛さが舌に残り、「また食べたいですね」と返信したのを、友人は病床の母親に伝えたらしく、「レシピというほどたいしたものじゃないけど」と前置きしながら、大雑把な配分を彼女に口伝えしたそうだ。
病の進行は早く、収穫の時期に一緒に台所に立つことはかなわなかったそうだが、娘からレシピを教えてほしいと乞われたとき、母親は「たいしたものじゃない」と言いながらも、すこし得意げだったという。
いくぶん話は逸れたが、中村智志さんに話を聞いてみたいと思ったのは、今年届いた年賀状に、彼の著書『あなたを自殺させない』(新潮社)が、城山三郎賞にノミネートされたものの、残念ながら受賞を逃した事とともに、異動の知らせが書かれていたからだ。
昨年9月から、社内の「自分史」をつくる部署に配属になったとあり、「自分史はなかなか奥深い世界です」と直筆で添え書きされていた。
「自分史」って本人以外、友人知人はおろか家族もろくすっぽ読まないんじゃない? 年賀状を目にしたときは、失礼ながらも正直そんなナナメな感想を抱きつつ、だからこそ中村さんの「奥深い」という一言がすごく意外だった。
中村さんとは、「週刊朝日」で彼が書評欄の担当になってからの付き合いで、かれこれ10年、いやもう15年以上になるのかな。正確なところはよく覚えてない。彼がほかの担当者と違っていたのは、ひとり芝居のイッセー尾形の舞台によく行ったりしていたことだ。
彼が担当を離れ、編集部から異動して後は、会う頻度は少なくなったものの交流が続いている。ワタシにとっては数少ない仕事関係の友人で、思ってもいないことを言葉にする人ではない。その彼が「奥深い」というのは、どういうことだろうか。
「自分史」に対する消極的なイメージとのギャップに興味をひかれ、どこがどう奥深いのだろうか、聞いてみたいと思ったのだ。
「昔の写真を見ていると、みんな家とかでポーズをとっているんだよね。俳優さんみたいにして」
築地市場のすぐ近くにある、朝日新聞東京本社の職場を訪ねたのは、今年1月末の土曜日。ゆったり話せるということで、中村さんには休日出勤してもらった。
「自分史」の完成本をめくりながら、中村さんがセピア色の写真を示している。
「カメラに向かってピースしているのが一枚もないんですよ」
ラフな口調は、長年のつきあいゆえだ。そういえばと、ワタシの脳裏で、おかっぱ頭に半ズボン姿、廊下の真ん中で撮られた写真がよみがえる。アルバムに貼られていたその一枚は、家の中でワタシがひとりチャンバラをしているものだ。
もとい。
「昔の写真で共通しているのは、こんなふうにそれぞれポーズをとっているんですよ」
中村さんが、他の本に手を伸ばしてみせる。
たしかに別の本を見ても、誰もかれもが、スターのブロマイド写真のようにして写っている。いつ頃からだろう。カメラの前で、指をYの字に立てるようになったのは。ワタシが子供の頃には「シェー」と両手をあげ、赤塚不二夫のイヤミの真似を大人たちまでやっていたものだった。
「まあ、こんなふうに写真を何枚でも入れることができるのが『朝日自分史』の特色のひとつで……」
中村さんは、朝日新聞社の正社員だ。「自分史」の編集は、もちろん会社の仕事である。
〈朝日新聞の記者経験者がお客様の人生を取材し、世界で一冊の自分史をお作りします〉と書かれた広告を見て、説明会にやってきたお客さんたちに対して、中村さんはいつもこう話している。
「自分史をつくるというのは、昔の写真の整理にもなるし、本に入れておけば、失くしてしまう心配もなくなります。間違っても捨てられることも心配もありません」
インタビュー時点で、中村さんが異動してまだ半年。とはいえ、説明会で繰り返し、自分史づくりの利点を話してきたからか、口調にわずかな慣れが感じられる。
説明会は週一回催され、2015年11月からは大阪でも開催されるようになった。出張の機会も増えたという。
平日、昼食を挟んだ各回の参加者は10人程度。大規模にしないのは、あえてのことのようだ。個別の相談に丁寧に応じるには、参加者の人数はスタッフと同等ぐらいがちょうどいいらしい。
「説明会のときに必ず話しているのがこの本」
と中村さんが机に手を伸ばした。『自分史ときどき昭和史』山藤章二著(岩波書店)。
「去年の秋、山藤さんの『ブラックアングル』(「週刊朝日」連載中)の40周年の記念イベントがあったときに、僕が近況として、いまは自分史の編集をしていると話したら、山藤さんがとても喜んで、壇上で、歴代の担当編集者が並んでいる中でわざわざ、『これからは自分史の時代です。高齢者の方には一人一冊、作ることをお勧めしたい。ここにいる中村さんも、いまは自分史の編集をされています、みなさんも作りたくなったら、彼にぜひ声をかけてください』とおっしゃってもらえた」
中村さんは「週刊朝日」に在籍中、約8年間、山藤さんの担当編集者を務めていた。
出版の世界に関わっている人だと説明はいらないかもしれないが、新聞社で記者を経験してきたものにとって「自分史」の部署への配属は、一線の記者ではなくなることを意味している。そういう事情を飲み込んだうえでの、山藤さんの「よかった」である。
説明会の際、中村さんは必ず『自分史ときどき昭和史』を持参する。ぴょんぴょん、飛び出た付箋がたくさんついた本だ。今年2月のある説明会でのこと。
「これはタイトルがいいんですよ」
スライドを映すスクリーンを背にした中村さんが笑顔で、山藤さんの著書の頁をめくる。
「『ときどき昭和史』とありますが、みなさんの自分史は、たいていそうなるんです。自分史を出したい人は、あのとき東京オリンピックがあったとか、長嶋がホームランを打ったとかいう世の中の出来事よりも、誰もがまず自分なんです」
「まず自分」というところで、会場でくすりと女性の笑う声がした。
「ただ、書くうちにおのずとみんなが知っている話が出てくるもので。『バブルのときに土地が売れて、父親はそれで老人ホームに入れた』とか。自分史と昭和史が自然と重なっていきます」
朝日新聞社としての、自分史づくりのスタートは2014年秋に遡る。
立ち上げに関わったのは、中村さんよりも若い世代で、基礎が出来たあとに「編集長」を引き継いだかたちになる。
「例の吉田調書や従軍慰安婦のことで朝日バッシングが吹き荒れていて、スタートしたときには苦労したみたいです。でも、いまは『朝日新聞』のブランドがプラスになっています。長年の愛読者がお客さんだったりしますから」
一冊作るのに要する期間は、平均すると約4~5ヶ月。編集部のスチール棚に並ぶ簡易箱の一つひとつには、進行中のお客さんから預かった写真や資料が入っている。すでに百冊ちかい本を作ってきている。
「朝日自分史」には、おおまかに言うと、二つのコースがある。「記者取材コース」と「原稿持込コース」だ。
なかでも「朝日新聞のOBが、あなたの話を聞いてまとめる記者取材コース」が売りだ。自分で書くのは大変だというお客さんに、記者経験者がインタビューしてまとめるというもの。しかし、比較的需要が多いのは「原稿持込コース」だという。
「原稿持込コース」は、お客さんが書いた原稿に担当者が赤字を入れながら完成させていく。作家と編集者のやりとりに似ている。基本料金が記者コースの半額と割安というのもあるのだろうが、ワタシが思うに「どうせなら自分で書いてみたい」という意欲がわくのではないだろうか。
「それもあるでしょうけど。もうひとつ大きな理由は、もともと手持ちの原稿があることで、一歩踏み出しやすいという側面もあるのだと思う」
顧客層は60代から70代が中心で、最高齢は90代。「自分史」を掲げているものの、句集や歌集、詩画集。仕事の論文集、夫婦の記録。なくなった子供の生涯をまとめたものや、広告の宣伝文のように、子供たちが親の健在なうちに何か残そうというケースもある。
「写真をアルバムのようにたくさん入れたいという人もいて、一度も会ったこともない人たちなのに、親戚のように感じることもあるから不思議ですよ」
写真撮影中、カメラマンの山本さんとの雑談から、中村さんの母方の郷里が静岡県浜松市で、祖父は静岡銀行の創設者のひとりであることがわかった。
「家は千坪のお屋敷で、蔵が4つもあったんだよね」
長年、仕事の付き合いをしてきたが、彼の個人的なことは何も知らないできた。聞かなかったし。彼も話してこなかった。
仕事に必要はなかったし、お互い前しか見てこなかったのだろう。インタビューの席にカメラマンや編集者が加わることで助けられるのは、そういうノリシロの部分を語り手がときに気さくに語りだしたりすることだ。中村さんの「お坊ちゃん」ふうのおだやかな様子は、母方の血をついでいるのか。しかし、彼の祖父には、戦後すぐに麻雀で何百万も負けたという逸話があるらしい。
さて、気になるのは料金だ。「記者取材コース」だと基本料金101万円+印刷製本代(400字詰め原稿用紙換算で概ね70~100枚程度、1冊がオールカラー100~199ページで、製本30冊だと約10万円)になるらしい。
「大手の出版社だと、平均170万円くらいします。なぜ、うちが安いかというと、書店などで市販しない。一冊単位で作ることのできるオンデマンドだから」
つまり、「私家版」であって、書店などで販売しない分、流通コストがかからない。定価表示もない。そこが、出版社が行う自費出版との違いだという。
手にしてみると、文字がすこし大きく感じられたが、これは編集サイドよりも、顧客側の選択だそうだ。
「文字は大中小の3つから選べます。お客さんに、文字の大きさはどうしますか? 訊ねると、ほぼみなさん、『大きいほうがいい』とおっしゃるんですよね」
まだまだ見直すべき改良点がある。
「私家版ゆえにかけられるコストの限界もあります。一方で、お客様は十人十色で。本も十人十色。想定外のご希望が出てくることもあります。でも、ときにはオプション料金がかかりますが、可能なかぎりご希望に添えるようにしていきたい」という。
いっきにしゃべりきったあと、中村さんが「ちょっと宣伝くさいですか」と笑い、「まあ、すこし」と笑い返すと、眼鏡に手をあて、「でも、本当だから」。
中村さんが、無理をしていないことは声を聞いてわかった。
(つづく)
☟次回は、中村さんのいう「自分史の奥深さ」をインタビューしていきます。