ヘンで面白いもので売れたい!!
【わにわにinterview ウラカタ伝⑥】
「情熱大陸」に出たい、と言いつづける漫画がネットで話題の宮川サトシさんに話を聞きました。【1/4】
インタビュー・文=朝山実
写真撮影 © 山本倫子
宮川サトシさんに初めて会ったのは2年前のこと。
『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(新潮社・以下『母を……』)という単行本が出たとき、「週刊朝日」で著者インタビューをした。そのときは「さとしさん」だったけど。
喪服に遺影を抱いたカバーの絵にインバクトがあった。
葬儀の日から遡り、母とのことを振り返る。喪の一年を描いた漫画で、大事なひとをなくしたことのある経験者なら「ああ、わかるなぁその心境」というシミジミさと共に、かなしみだけでなく、笑いの要素もある。36歳。宮川さんの単行本デビュー作だった。
前職は、学習塾の講師。30歳をすぎて、漫画家を目指して上京したという。念願かないデビューにこぎつけた。それも漫画雑誌の新人賞に選ばれたわけではない、というのも異色なことだ。
その後、『東京百鬼夜行』(人間社会でフツーに暮らす百目女や木綿の妖怪たちのコンプレックスに注目した短編集)や、『宇宙戦艦ティラミス』(戦闘ロボットのパイロットがコックピットの中で悩むヘンなハナシ)などを描いてきた。
3作続けて読むと「自意識」をテーマにしているのがわかる。そう思っていたらネットで、等身大の宮川さんらしき主人公が「情熱大陸」(TBS系の人物ドキュメンタリー番組)に出演することを目標にした漫画を描きだしていた。
なんだかコドモのように番組に「出たい」と公言、出演した幼なじみに激しく嫉妬する様子が面白く、あれから2年経ったことだし「その後」の様子を聞いてみたくなった。
会ったのは、彼がよくここで仕事をしているという東京・吉祥寺の喫茶店だった。
「いま、あんまり見ないようにしているんですよ、『情熱大陸』じたいを」
── それはまたどうして?
「距離をとるようにしているんです。向かって行きすぎると、どこまで自分が好きなのか、わからなくなるんですよ」
意外だった。漫画のテンションからすると。そういえば、2年前に会ったときも、物静かにしゃべるひとだったのを思い出した。
── あの『情熱大陸への執拗な情熱』(以下『情熱』)は、どんな動機で描きはじめたんですか?
「マジメな話をすると、30代後半になって、人生折り返しだなと思ったんです。そのときに、『情熱大陸』とかに出ない人生でいいのか、と」
── 出ない人生、ですか?
「そうなんです。たとえば、顔が美形だったりモデルのような人でないと出られないというのなら別なんですが。そうじゃない人も、あの番組は一杯出ている」
── たしかに、イケヘンのシェフに混じって、恰好なんか気にしていない変わった分野の研究者とかを見る機会が多いですね。
「そうなんですよ。だから誰にもチャンスはあるんじゃないのか。自分は出られない人生なんだと、あきらめてしまっていていいのか。それは、自分だけじゃなく、ほかの人に対してもそう思ったんです」
── というと?
「(いまの僕の年齢になると)同級生たちが、子供が生まれたとか、家を建てたとか、というのをフェイスブックとかで見るんですよ。そうすると、『俺、これに出たんだよ』というものが何もないまま、人生の後半戦に入っていくのかって」
── もやっとする?
「そう。みんなもそう思っていない? という呼びかけの意味もあったんです。そういう気持ちを、いちばんストレートに伝えやすいものは何かと考えたら、『情熱大陸』だった(笑)」
── ひとりで悶々とするんじゃなくて、呼びかけだったんですか。考えたというのが面白いですね。
「たとえばですが、『笑っていいとも』のテレホンショッキングも、子供のとき、もしかしたら自分にも電話がかかってくるんじゃないか。冗談で学生のときにネタにしたこともあったんですが、あれは芸能界にいる人じゃないとかかってきませんよね。ザ・芸能界っていう。
だけど、『情熱大陸』は、何かに特化したものを持っているのが条件みたいなので、チャンスだけは平等にあるような気がしていたんです。
実際は、調べれば調べるほど違うんだなというのをいまは感じていますけど。かなり敷居が高いんだなぁって(笑)」
── 高いというのは?
「あの漫画を描いていると、不思議なことが起きるんですよ。これは、後編で描こうと思っていることなんですが、番組に出た人たちとSNSで連絡がとれるんです。
『漫画、読みました。実は、私も出たことがあるんですよ』とか、『プロデューサーと知り合いなんですよ』とかいうメールが届くんです。知らない人たちから」
── 思わずメールをしてみたくなる漫画ということか。
未知の人たちから突然届くメールの多さにびっくりするとともに、共通したある傾向が感じられたという。
それは、ちょっとした上から目線みたいなもの。たとえば、「ボク、出たんですけどね」という自己紹介や、「プロデューサーに、この漫画、紹介しておきますね」という文中の一言。たぶん、ワタシもそうするかも、というちょっとしたワンコメントも、そもそも関係者に知り合いなどいない、出たいけど出られずにいる側の人間からしたら、「それって、ジマン?」と妬ましく思う気持ちがメキメキ募るのも無理からぬこと。それを宮川さんは自嘲を含め「大陸マウンティング」と言いあわらした。
そして、寄せられる情報から「誰でもチャンスはある」とは思えなくなったという。
「三年、四年、密着して取材していたのにお蔵入りしたのがあるとか。オファーがあってから放映されるまでがすごく長かったり、旬じゃないといけない、とか。ハードルが高すぎる。これは別のドキュメンタリー番組をつくっている人から聞いたんですが」
── それは、その番組への出演の打診みたいなことがあったんですか。
「そうなんですが、会って僕の話を聞いて、『今回はなかったことに』になりましたけど」
── 今回は残念でした、というわけね(笑)。でも、逆取材にはなっている。
「そうです(笑)。それはそれで、漫画のネタにさせてもらおうと思っていますけどね。ただ、そのときの話で『情熱大陸』は、30分。コマーシャルを除くと賞味20数分の短い中で世間にアピールしようとすると、一瞬で絵になる人間じゃないとダメ。逆に1時間ものの番組のほうが、ハードルが低いんだよというんです。
なるほどと思いましたね。『情熱大陸』に出たいという漫画がネットでちょっと話題になったぐらいで出られるほど甘くはないんだという(笑)」
── それは最近気づいたの?
「そうです。ここに来て。ハッハッハッハ。だから後編は、気づいた僕が現実という壁にぶち当たっていく展開を考えていて。
ただ、すこしマジメな話をすると、万が一いま『情熱大陸』からオファーがあったとしたら、断ろうと思っているんです」
── それはまた、どうして?
「裏口入学のようで嫌だなぁというか。『情熱大陸』の漫画を描いただけで、声をかけてもらったりするようなことは、ずるい。『情熱大陸』じゃなくても、この漫画をネタにしたドキュメンタリーへの出演だったら断ろうと」
── でも、さきほどの別の番組からの打診は、漫画がきっかけだったんですよね。
「そうです。ただ、これまでの僕の漫画もぜんぶ読んでいますと言われて。自分の漫画を広げたいというのがあったので、そのときは出ようかと。いまも、その番組なら出るかもしれない。何様なんだ!って話ですけどね(笑)」
── たしかに、一段上にいる感じですね(笑)。
ナシになった日曜のお昼のドキュメンタリーは、ワタシも好きでよく見ていますが、ふつうの人が出てくることが多いですよね。何かに成功したというわけでもない。
沖縄の離島から上京して、老舗の寿司屋の就職した若者だとか。お客さんに声がかけられなくて、すぐにやめちゃうんじゃないかという男の子を丁寧にロングランで追いかけていく。ふつうの人たちだからこそ、実際店をやめたりもする。展開が見えず、ハラハラしながら見てしまう。
よく、そういう人を探してくるなぁと思うんですけど。宮川さんの話を聞いて、想像以上にたくさん当たりをつけているんだとわかりました。
「あと、あの番組には影があるというか。すこし不幸のニオイがするんですよね。震災があって東京に出てきたとか、事故で両親をなくしたとか、持病をもっているとか。僕にも、そういう要素がありそうだというので声をかけてもらったんだと思うんです」
── 光と影ね。
「影は、あることはあるんです。足りないのは、光なんでしょうね。何万部のベストセラーになりましたとか、テレビドラマになりました、とかまでいっていないですからね。自分では、いいものを作っていると思っているんですけどね」
── 声がかかったのは、『情熱』の連載が始まってすぐのころ?
「二話めぐらいだったかなぁ。ひと月に一話連載だったので。
僕は絵に特色がないので、発明をしたいんですよ。『情熱大陸』に出たいというだけのネタで何十ページもの漫画を描いたんだよ、という切り口の発見というか。
漫画家って、子供が生まれたらすぐに子育て漫画を描くんですが、そうじゃなくて、まだ誰もやっていない切り口を探し出していきたいんです。そう考えるのは僕だけじゃないと思うんですが、ゴハンの漫画が売れているからそっちにいくというのはしたくない。それよりか、『情熱大陸』に出たいというだけで描き続ける。そういうものを見つけたいとずっと思っていて。
ヘンで面白いもので売れたい。それが目標なんです(笑)」
── 宮川さんを以前インタビューしたときはエッセイ漫画の『母を……』で、漫画を読みながら自分の親がなくなったときのことを思い出したんです。
喪の日々の些細な逸話がドキュメンタリーふうな感じで、ちょっとおかしくて、どういう人がこれを描いたんだろうと思ったら、じつはその作品ではなくて、メンタルの弱い妖怪たちの漫画を雑誌に連載していて、そっちでデビューするはずだったという。しかも、30歳をすぎて、岐阜から池袋まで深夜バスを使って、漫画のワークショップのようなところに通って、漫画を描きはじめたという。すでに結婚もしていたのに。
ふつう、漫画家になる人たちは十代の早いうちに描き始めて、新人賞とかを受賞したりしているのに、そういうキャリアはまったくなしに漫画家になろうとしたというのも面白いなぁって。
それで、最新作の『宇宙戦艦ティラミス』は宮川さんが原作で、絵は伊藤京さん。ガンダムのような戦闘機のコックピットの中の物語で、そのあとだったかな、『情熱』の漫画もやられていて、作品傾向はバラバラに見えるんだけど、共通しているのはコンプレックスというか「自意識」が柱になっていることなんですよね。面白いなぁと思ったので、今回、話を聞いておこうと。
「ありがとうございます」
── 『母を……』のことについて触れておくと、いまでも印象に残っているのは、お母さんの財布に入っていたスーパーのレシートを見て、宮川さんがジンときたりする場面。どんな高価な物よりも「ピーマン、いくら。もやし、何円」と書かれた紙切れが宝物のように思えたという。ふだんならゴミなのに捨てられなくなる気持ち、それ、わかるなぁって。
いっぽうで、姪っ子たちが、母親の指輪がきれいだからもらっておこうと言い合っているのを横目にして、イラっとする。「一個にしろよ」と、大事な形見なんだから俺だって欲しいんだと心の中でつぶやく。あるなあ、そういうのって。
「自分の唯一良いところは、素直なところだと思っていて、将来姪っ子たちが漫画を読んで、どう思うのかなと考えはするんです。だけど、母親の遺品を姪っ子たちを取り合っているのを見て、イラっとしたのは自分の本当の気持ちで、これは隠したりしてはいけないと思ったんです。
姪っ子たちも、あれから大きくなって、いまは中学生になったので読んだかもしれない。会ったときにその話題が出たら、あのときはキミたちのことが憎かったわけではない。母親への愛情からくる感情なんだ、と説明はできるし」
── でも、一瞬ためらう。これを漫画に描くのはどうかと考えるんですよね。本を読んだらどう思うだろうか、と。
「こういうことを描こうと思っているけど、と担当者に聞いたりしました。
『情熱大陸』も、みんな出たいと思いながら、そういう気持ちを内緒にしている。それを僕は、とりつくろわずに『出たい』と言ってしまう。これこそが生きるということじゃないかと思っているから」
── ワタシは、『母を……』のお兄さんの話が面白くて。お墓を買うというときに、ひとりでテキパキと物件を決めてしまう。帰り道だったかに、折半だよ、と告げられる。いかにも長男っぽい、というか。
「あれなんかも、そういうのがなかったら、当たり障りがなくて、つまらないと思うんです。兄貴も、あの一件については、本が出たあとも、とくに何も言ってこなかったし。読んだよ、というくらいで。俺も上から言ったなという自覚はあったんだろうと思うんです。
それに、漫画の中では、一度買ったことがあるのかというくらいテキパキしていて、頼りになったとも書いているんですよね。そう思ったのも本当だし。そのへんはウソがないので」
── 怒りから発したものではないということか。
「そうですね。ちょっとくらい皮肉の要素はあっても、腹立ちをぶつけるというのはなかったですね」
── お父さんは、あの本を読んだんですか?
「父親は、単純な田舎の人なので、大喜びして、本屋さんで本を買占めて、自分のかかりつけの医者のところに置いてもらったりしていました」
── 息子の本なんですと、近所に配ったりしたんだ。
「自分の家の中の出来事を近所の人に読まれるというのは、めちゃくちゃ恥ずかしいことだとは思うんですけど」
── お父さんは、お母さんが亡くなってから気力がなくなって、酒に呑まれたりして家の中も荒れていたんですよね。そういう様子も隠さずに、ぜんぶそのまま描かれているのに。
「もしかしたら、読んでいないのかもしれない。自分の格好悪いところは飛ばして読んでいたりして(笑)。
そういえば、あの本を舞台にしてもらったんですよ。小さな劇団の公演だったんですが。そのポスターを実家に送ったら、『おれは、どれや?』って。キャストの顔が出ていて、年寄りは一人だけなのですけど。そういうミーハーな関心のほうがつよいんですよね」
── 宮川さんが、自分はお父さんに似ていると思うところって、ありますか?
「ありますね。やっかみやすいのと、メジャーなものに対して、ケッ!となるところとか。みんなが大好きなものは、好きになれないとか。
たとえば?
そうだなぁ。クリスマスは日本のものじゃねぇだろうという意見がありますよね。それに賛同しながら、でもクリスマスを楽しみにしているのとか。何がディズニーランドだよと言いながら、行ったら楽しんでいるところとか」
── つまり、ひねくれている(笑)。
「父親は、NTTで電報を受けつける仕事をしていて、とっくに退職しているんですが。それも定年の2年前に『自由でいたい』って辞めているんですよ」
── 退職金の割り増しがあったとか?
「いえ、そういうのもなくて。逆に少なくなったんじゃないかな。海外旅行が好きなひとで、それも一人でシンガポールとか行っちゃうんですよ。最近になって聞いたら、『金持ちぶりたかったんだ』と言うんですよ。金持ちじゃないから(笑)」
── 見栄ハリくんなんだ。
「歌舞伎なんかわからないのに観に行ったり。観ている俺が好きというか。このトシになってくると、僕も、反面教師にするようになりました。だけど、振り返ってみると、似ているなぁと思ったりしますよね。
結果的には、父親のそういう性格をひきついでよかったと思っています。漫画を描くときに、そういうのがすごく役立っているので。ハハハ」
☝『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』の中にある、母のケータイ登録を見返すシーン。いつ、みんなは故人の番号を消すのだろう。納骨の時期もそうだけど、いつまでも傍に残しておきたいと思う気持ちと、それじゃいけないと思う気持ちのギッタンバッタンだ(この写真だけ朝山撮影)
── ちょっと話題は変わりますが、『情熱』の漫画に出てくる奥さんがいいですね。ツッコミキャラというか、「大丈夫かしら」という目線で宮川さんを見ている感じが。
「じつは、うちの妻も僕と同じというか、僕以上に『出られるよ、ゼッタイに』とか一緒になって言ったりする人なんですよ。突然、ハカセさんのコンサートのチケットをとろうとしていたので、『8000円もするからやめてよ』と僕が止めたりする。だから、あの妻はフィクションです」
── あの漫画、すごく面白いんですよ。ただ、疑問なのは、作者はどこまでマジに出たいと思っているのか、嫉妬心をみなぎらせる自身の器の小ささを面白がっているのか。どっちなんだろう?
「そこは自分を見ている、もう一人の自分がいるんですよ。『こんなことやっているわぁ。ヤバイよぉー‼』という自分がいる」
── 「まっしぐらな、ボク」と「ひややかな、私」みたいなものですか?
「そうですね。これに限らずですが、ドキュメンタリーっぽい漫画はそうでないと描けないと思うんです。何か、自分の感情みたいなものを加工してひとに伝えようとするわけですよね。加工する職人である自分と、材料を出す自分。両方がいて、その二人をコントロールしないといけない」
── なるほど。あと、面白かったのが、綾野剛さんと昔、郷里のバイト先で一緒だったという話。あれは?
「あれは実話です。ずっと気づかずにいたんです。当時、すらっとした透明感のある男の子がいて、のちにバイト先の先輩から聞かされて、ええっ!?となるですが」
次週につづく☞綾野剛には感じないのに、ワタナベくんに激しく嫉妬してしまうのは…。 - わにわにinterview「ウラカタ伝」 (わにわに伝)
母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。 (BUNCH COMICS)
- 作者: 宮川さとし
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/08/09
- メディア: コミック
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【ウラカタ伝に登場してもらった人たち】
➀アクション監督が語る、「スタントマン」になるには☞大内貴仁さん
③島根で「福島」について考える「日直」歌手☞浜田真理子さん
❹「スンタトマン」の世界を漫画にする☞黒丸さん
⑤「自分史」づくりが面白いという☞中村智志さん
⑦「困ったら、コマムラ」の便利屋☞駒村佳和さん
❽見入ってしまうメオト写真を撮る☞キッチンミノルさん
⑨タイで起業した写真家☞奥野安彦さん