1㌫をとるのか、99㌫をとるのか!?
【わにわにinterviewウラカタ伝⑦】
「こまったら、こまむら」
ITプログラマー出身、調査から鳶職までこなす便利屋・駒村佳和さん【4/4】
インタビュー・文=朝山実
写真撮影 © 山本倫子
前回を読む☞便利屋「こまったら、こまむら」さんが困ることは? - わにわにinterview「ウラカタ伝」 (わにわに伝)
11月某日、ふだんの働きぶりを見たいとお願いしたら、駒村さんから物置の解体作業を請け負ったので見に来られますかと連絡があった。
都内だけど、すこし遠方。天候は夜から降雪の予報があり、朝っぱらから小雨模様ながらの「雨天決行」。カメラの山本さんとで訪れたのはお昼を過ぎた、後半戦だった。
小屋の中の廃材を処分場に運び終わり、なかはがらんとしていた。三畳ちょっとくらいかなぁ。処分場への往復の道が混んでいて、作業は予定より遅れ、お昼ご飯抜きで午後の作業に入るとか。助っ人は1名。「イケメンの佐藤さんです」と紹介される。
「駒村さんもイケメンだから、イケメンツインですね」「こんどからお客さんにそう言おうかな」。無駄口のない駒村さんが、冗談めかして笑っている。
こまったら、こまむらさん。のとある一日 ©waniwani「ウラカタ伝」
駒村さんの現場は、先日の銭湯でペンキ絵のときもそうだったけど、静かにタンタンと作業が進んでいく。
「おーい、○○―!! 早くアレ、××しろよー!! 言っただろぅ!!」なんて、大声は一度も聴こえてこない。
「佐藤くん、ここ、ちょっと○○で△△……」と話し声がときどきするくらいで、気持ちいいくらい、もくもくとしている。
「音楽とかしているんですか?」佐藤さんに訊ねると、
「いえ、何もやっていないです」
「へぇー、イケメンなのにもったいない」。一瞬間があいて「いまは三度目のモラトリアムですかねぇ」とスマイル。以前は出版社で働いていた佐藤さんは、駒村さんとは知人を介した仕事の現場で知り合い、いまは空き時間に現場へ応援に来てもらったりしているそうだ。
「駒村さんの現場はやりやすいです。……怒鳴り声がする現場ってありますね。……そういうのは苦手で、駒村さんのところは、そういうのはないし、いいですよ」
佐藤さんも、駒村さんに似てタンタンと仕事をするひとだ。
そういえば銭湯のときに来ていた助っ人のカヂヲさんは「これから写真でやっていこうと思っている」と話していた。ミュージシャンやフリーライター、昼の時間の空いた芸人さん、バーのマスターなど、助っ人陣にはほかに仕事をもった人たちが多いと聞いていたので、てっきり彼もそうなのかと思ったが、佐藤さんは正確には「多能工のようなポジション」(一言で「便利屋」とくくられやすい業態だが、佐藤さんは便利屋専業ではない)で、駒村さんとは仕事を協力しあう関係らしい。
結局、この日の現場は、道が混んでいて、廃材の処分場への往復に時間をとられ、駒村さんがクルマで運んでいる間は、佐藤さんひとりが解体作業を進めるという流れだった。「途中どっかでコンビニにいったりしますから」と言うものの、結局昼食も休憩らしい休憩もとらずに二人はペーズも乱さず作業を行っている。腹ペコになると機嫌が悪くなるワタシなんかはこれだけでも尊敬してしまう。
トタン屋根が取り払われ、壁板が剥がされ、柱の木が倒される。思いのほか頑丈な造りになっていて、居合わせた依頼主のお客さんにお聞きすると、
「親父が大工仕事が好きで建てたんですよ。このフェンス(道路に沿って家の敷地の周りに張ってある)も親父がやったもので。30年前になるけど、そのときは私も手伝ったりしたんですよ」と話されていた。
依頼主さんのお父さんが施設なのか病院なのかに入られて、空き家状態になり無用心だからと取り壊することにされたそうだ。大工道具とかを収納していた、父親の思い出のこもったものらしく作業の進行を眺めておられた。
「取材なの。……ああ、そう。駒村さん、ラジオに出ていたよね。前にも頼んだことがあって、ぜんぜん心配なんかしてないですよ。もともとは友人からの紹介で、一回頼んだことがあって。それからです」
このフェンスは30年前に親父と作ったんだよと話されるのを聞いて、ワタシの中でフラッシュバックしたのは5年前に亡くなった父が、実家の周囲に塀がわりのフェンスを張ったりしていた姿だった。依頼主さんのお父さんがそうだったように、うちの父も素人ながらプロが使うような大工道具を揃え、休日は鶏小屋や犬小屋などを器用にこしらえていたのを思い出した。すっかり忘れていた記憶だった。もう遅いけど、病院ででも子供のころ記憶を話題にすることができたらよかったのだろうけど。
さて。ここからは、駒村さんへのインタビューの続きです。
── 苦手な現場はありますか?
「嫌なのは、ないです。とりかかる前に辛いなと思うのは、やる前にはないですね」
── 始められて、いまで8年ですよね。5年後、10年後はどうしていると?
「5年前に『ボクナリスト』のインタビューを受けたときにも話していたんですが、できたら個人でやっている便利屋のネットワークをつくりたいんです。お客さんからしたら、ここに頼んだら何でも解決してくれるというネットワークみたいなもの、その窓口になれたらな、というのは考えています。法人化というのがベストなら、それもあるかなぁと」
── 駒村さんは、いい意味でちょっと変わったタイプに思うんですが、「会社」という形態は合っているほうですか?
「いま協力してもらっている人たちとだとやっていけると思うんです」
── 逆にどこか既存の会社組織に入ろうというふうに考えたりはしない?
「ないですね。雇う立場からすると使いづらいでしょうし(笑)。いまは一箇所にとどまって何かするというのは向いてないというか、毎日、風景が変わるというのが自分には合っているのだと思います」
便利屋こまむらの仕事の範囲は、雑草刈り、庭木の剪定、引越し、ペットの世話から様々な職人さんたちの補助的作業、新入社員の社員証をつくる仕事まで、と幅広い。"できない事以外はできます!"をモットーに、日々ちがう現場に出かけていっている。
── 結婚されたのは、いまの便利屋さんになられてから?
「はい。3年前で、いまの仕事になってからですね。……じつは学生のときにやったアルバイトがきつくて、一時間で身体が悲鳴をあげ、父親のことをすごいと思ったんです。父親は繊維系の仲買の仕事で内容はちがうんですが、こういう思いをして自分を育ててくれたのかと思うと感極まりまして。あのときのことを思うとまあ大丈夫というか」
── どういう仕事内容だったんですか?
「大手の宅配の倉庫で、ベルトコンベアで回ってくる荷物を行き先別に素早く取り分ける仕事なんですが、モタモタしていると荷物が一周してしまう。待っているドライバーさんに迷惑をかけるし、後ろに怖い監視する人がいて背中を蹴られる。一週間で腰が痛くてやめましたけど」
── 足場の仕事も大変そうに思うんですが。
「見た目のハデさがあって、組み上がったものを見上げたときに、『建てたぞー!!』という達成感があるんですよ。現場のすこしでも力になれたという満足感もありますし」
── 仕事の服は?
「いつも同じ。こんな感じですね。足場のときも鳶の格好は、いま一般の方は目にするとコワイというので、ふつうの作業着が多いんです。工務店の上の人がOKかどうかで」
── 職人さんが着る、あのズボンの裾が広がっているのはどういう意味があるんですか?
「しゃがみやすいのと、汗がでたときにくっつかないとか」
── 利便性からくる意味があるんですね。でも、駒村さんはソフトな印象がして、ガテン系のイメージに合わないというか。偏見かもしれないですけど。
「自分ではそういう意識はないんですけど、様子を見ていた友人があとで『コマちゃん、ちょっといじめられていたっぽいよ』と言われたことがあります。でも自分は、いじられているくらいに思っていました。だから精神的な辛さを感じたことがなかったんですよ」
── ワタシ、学生の頃にやった塗装のアルバイトで嫌だったのが、昼飯のときにクルマで同じ中華屋さんに行くんだけど、一日じゅう職人さん同士の会話のカヤの外にずっと置かれていて。「おい、メシ食いに行くぞ」という声もかけてももらえず、お昼時になると職人さんたちが目配せして移動するのを見て、後ろについていく。経験も体力もない、役立たずで、どうにも員数外の扱いで。バイト代のよさに目がくらんだ自分が悪いんだけど、声をかけてもらえなかったのがきつかったんですよね。もう何十年も昔ですが。そんなこともあって駒村さんの現場を見ていて、いい現場だなあと(笑)。
「そういう面では、自分の現場は下についてくれた人から、『コマちゃんの現場はやりやすかった』と言われますね。リラックスして比較的いろんな提案もできるって。それは嬉しかったですね。
足場の仕事は、どれだけ早く建てたかとかよりも、通行人の迷惑にならないようすることや、安全に作業に進めることのほうが大事だと思っていて、そういうところは、年齢的にいってたので、比較的できていたんじゃないかと思うんですよ」
── 足場の仕事を始められたのは、けっこう年齢が上になってからなんですね。
「28歳のときで、まわりは10代とか20代前半なんですよね」
── その年齢になって始める仕事ではなかったということですか。だとしたら、なんかワケアリの人に思われていたりしませんでしたか(笑)。
「そうかもしれないですね(笑)。でも、仲良くやっていたと思いますね。職人さんたちはイカツイひともいますが、みんな気がいい人たちで」
── このあいだ頼んだ引越しの人たちが、オジサン一人と若いヤンキーが二人のチームで、耳にピアスとかしているんだけど、よく働くんですよね。テキパキと本が詰まった重いダンボールの箱を二段重ねにしていて。訊ねると「往復はすくなくしたいから」って。
「そういうのは、足場でもありますね。たとえば足場の板が5枚残っているとすると、職人さんは4枚、1枚という運び方をするんです。二回に分けて運ぶのなら3枚、2枚のほうがよさそうに思うので聞いたことがあるんです。『そのほうが見た目がいいんだ』って。4枚持てるというのを見せたいんでしょうね」
── 駒村さんは?
「わたしも筋肉つけるために4枚持ったりしましたね(笑)。自分も見栄っ張りだなぁとか思いながら」
── 粋ってことですかね。
「そうですね。そこで、写真なんか撮られたりすると燃えたりするでしょうしね(笑)」
── そういえば、鳶の人たちを撮った写真集が何冊か出ていますね。
「たとえば高層のところで仕事している、あの人たちのヘルメットなんかにカメラをつけてもらって、その目線で撮った動画とかあると面白いと思うんですよね。自分はなれないけれど、せめて視点だけでも体験できると」
── ああ、たしかに。面白そうですね。
最後に、定番の3つの質問をした。
── 一番古い記憶は何ですか?
「実家が山形の米沢で、じっちゃま(祖父)についてもらって、土間で自転車を練習していたんですよね。後ろを手でおさえてもらって。三歳くらいのときです。補助輪つきで、後ろにも下がれるタイプの。なんで覚えているか?……両親が共働きで、よく祖父母といたからですかねぇ」
── 一番を答えずに「いま二番目に大切なものや大事なこと」を教えてください。
「すぐには諦めないで、ほかの方法を考えてみる。考え方ですかね」
── 逆にあきらめてきたことはありますか?
「ありますね。中学2年生のときにクラスのみんなが、英語をマスターしていくのを見て、だったら英語ができる人の傍にいたら大丈夫と思ったんですね。でも、大人になって、そうじゃないなぁと」
── 最後の質問です。最近、ちょっと嬉しかった出来事は?
「……ふふっ。とある経営者の方に『うちで働いてくれる人を探しているんですが』と相談を受け、間に立てたこと。自分という共通の知り合いがいないとそういう機会はなかったと思うので。橋渡しができたことですね。仕事ではないんですが」
── それは、いわゆる便利屋さんの感じじゃないということですか。
「便利屋さんの範囲って幅広いんだと思うんです。弁護士さんだとこう、寿司職人さんだとこうって、顔まで浮かぶと思うんですが、それがないというのはすごく大きな可能性が潜んでいるじゃないかと思うんです。と言いながら、ほかの便利屋さんがどういうことをしているのか調べたりしていないので、業界全体のことをもし聞かれたらどうしょうと思ったりしますけど(笑)」
このとき、三つの質問に対する駒村さんの回答がどれも間を置かず、早すぎるなぁと思っていたのだが、インタビューの前にこの下調べされ、質問の想定もされていたらしい。子供の頃は「夏休みの宿題は後回しにするタイプ」だったそうだが、インタビューの予習は現在の仕事の仕度に通じるのだろうか。性格がうかがえるのは「ちょっと嬉しい出来事」に対する回答を、後日「あれ、変えてもいいですか」と聞かれたことだ。
「ちょっと格好つけていたので。“ちょっとだけ”なら、『お財布に800円くらい入っていた硬貨がコンビニの支払いでぜんぶなくなったとき』。そちらに変えてもらって、いいですか? そっちがホントだなと思ったので」
ほんとうに「ちょっと」すぎて笑った。数日の時間差で、わざわざ訂正するところもヘンだし。ただ、訂正前のものも仕事をしている駒村さんにとって「本当に嬉しいこと」のように思えたので、残してみました。
そういえば過去の「ボクナリスト」のインタビューで面白かったのは、「おばあちゃんがなくなったときの話」を駒村さんがしたら、ひきずられて聞き手が自分の体験を話しだすところだった。そして、危篤の知らせを受けたときに駒村さんが「休んでもいいか」と電話しなければならず躊躇したのが、会社をやめる動機のひとつにもなったということだ。本来なら迷ったりせずに駆けつけるものだろうに、なぜ自分は迷っているのだろうか、と。インタビュアーは「りんご飴マン」や「水曜日のカンパネラ」の仕事をしている藤代雄一郎さんである。
最後に取材で一番印象に残っている言葉がある。録音機が作動していないときに駒村さんが話していたことで、ワタシが高所恐怖症だというと、
「庭掃除のお手伝いをしたときにお客さんが虫が苦手で、コワイと言われるんです。『あなたが恐がる以上に、虫は人間を恐いと思っているはずですよ』と話しながら作業していたら、仕事を終えるころには虫嫌いがなおったとおっしゃられたことがあったんです。
高い所が怖いというのも落ちるかもしれないと想像するから怖いんだと思うんです。でも、99㌫落ちることはないんですよ。
どうして、落ちると思うのか。
可能性の問題をいうと、残りの1㌫をとるのか、99㌫をとるのか。何もせずに躊躇するのはもったいないと思うんですよね」
はじめる前に諦めるなんて、もったいない。可能性の圧倒的に低いほうに自分をあてはめるのはある意味、自分を特別視することでもあるという。駒村さんは、自分を特別と思わないし、特別な存在になりたいとも思わないらしい。気づいたといえば、このインタビューをまとめていて、駒村さんのガテンらしからぬフンイキに、何度も同じ質問を繰り返しているジブンが偏見の主でバカだなぁと思った。
"できない事以外はできます!
こまったら、こまむら"
☝この日の仕事終わりに手の撮影
連載の最初から読む☞「こまったら、こまむら。」のヒミツ基地を覗いてみた。 - わにわにinterview「ウラカタ伝」 (わにわに伝)
おわり。
【ウラカタ伝に登場してもらった人たち】
➀アクション監督が語る、「スタントマン」になるには☞大内貴仁さん
③島根で「福島」について考える「日直」歌手☞浜田真理子さん
❹「スンタトマン」の世界を漫画にする☞黒丸さん
⑤「自分史」づくりが面白いという☞中村智志さん
⑦「困ったら、コマムラ」の便利屋☞駒村佳和さん
❽見入ってしまうメオト写真を撮る☞キッチンミノルさん
⑨タイで起業した写真家☞奥野安彦さん