「ウラカタ伝」

ふだん表に出ないけど、面白そうなことをしているひとを呼びとめ、話を聞きました。

足は顔以上に個性的?

【わにわにinterviewウラカタ伝⑩】
靴職人uzuraさんに聞く【2/3】

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インタビュー・文=朝山実
写真撮影 © 山本倫子Yamamoto Noriko

 


靴職人「うずら」高橋おさむさん

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「こんなに勉強が嫌いなのに大学に行くって、意味がわからなかったんですよね」

 東京都足立区、北綾瀬の住宅地の一角に手作り靴「うずら」の工房はある。作業中はFMラジオがかかり、夜遅くになっても窓辺には灯りがともっている。木型づくりと靴底部分の製作を担当する、高橋おさむさんが「そうだ、靴職人になろう」と思いたったのは21歳のときだった。
 高校を卒業後、周囲が進学してゆくなかで、ひとりたちどまり、三年間ほどは突然カヌーを体験したいとカナダに出かけたりしながら「やりたい」ことを探していた。1974年生まれの43歳。よくある自分探しをしていたのかもしれない。ただ、一度「これだ」と思ってからは、ずっと靴づくりをしてきた。

「なんとなく家具とか、モノをつくる仕事につきたいとは思っていました。当時は新大久保で新聞配達のアルバイトをしていたんですが、近所の本屋さんで専門学校の雑誌を見ていたら、母校になったエスペランサ靴学院というところが載っていて、『ああ、靴の学校というのがあるんだ』と興味をもって、ほかにも学校があるかと調べてみたんです」

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 職業訓練校などいくつかあった中で、最初に見つけたところを受験することにした。しかし、なぜ靴だったのか?

「うーん……。子供の頃から靴がよく壊れる子供だったんですよ。三ヶ月に一足は潰していた。サッカーをやっていたせいもあるのかもしれないんですけど。親指の付け根のところの(底に)穴があいてしまう。そうすると、(親との約束で)三千円という上限で新しいのを買っていいということになっていたんです。それで、朝入る広告のチラシを見て、吟味して買いに行く。靴を選ぶのもそうだけど、靴屋さんに行くのが好きだったというのがあったのかもしれないですね」

──買いに行くのは、スーパー? それとも商店街の中にあるような個人商店?

「商店でしたね。ビニールの袋にくるまれて飾ってある。高校になるとバイトをしていたので一万円くらいのを買ったりしていました。そのぶんお小遣いが苦しくなるんですけどね。
 何かしないといけないというときに、なんとなくそういうのを思い出したのかもしれない。最初、新宿で靴の修理をしているひとがいたので見に行ったりしてはいたんですが、修理なので、作り方まではわからなかったんですね」

──高校を出てから靴の学校に入ろうとするまでに3年間ありますよね、焦りはなかったんですか?

「あせるということはなかったんですが、同級生が大学を卒業して就職する頃には決めたいというのはあったかなぁ。ブラブラするというのは、楽に見えてシンドイんですよね」

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──高橋さんは何年生まれ?

「昭和49年です」

──ということは90年代の前半に高校卒業だったら、当時は就職するよりも進学が多数だったんじゃないんですか? 受験という選択は考えなかったんですか。

「そういう選択肢もあったんですが、外国に行きたくなって、最初カナダに行ったんです。語学学校に三ヶ月いて、向こうには結局七ヶ月くらいいたんですけど。クジラを見にいったりして(笑)。
 カナダは、カヌーに乗ろうと思ったんです。野田知佑さんというひとが、テレビで川を下っているのを見て、楽しそうだなぁと。それで、カナダに行く途中のポートランドというところで、すごい荷物を背負って川下りをしてきたひとに会ったんですよ。
 そのひとの顔がね、もうボコボコに腫れていた。ブヨに刺されたんだと言う。その顔を見て、ちょっと弱気になったというか。いま考えたら、川下りをしたいだけなら何もカナダでなくとも日本でもやれるし、そのための準備も必要じゃないですか。でも、まったくせずに行っているんですよ(笑)。しかも、よくよく考えてみたら、虫とか大嫌だし。
 そう。それで挫けるんです。何がしたいんだろうかって。
 でも、とりあえずカナダには行き、ホームスティしたところがイタリア系の家で。会話ですか? 家庭内はイタリア語だったんじゃなかったかなぁ。『はい』は、シーって言いなさいとか教えられたんですよね。
 コミュニケーションは、そんなに困った覚えはないんですよ。言葉はそんなに話せたわけでもないんですが。何でだろう?
 いろんな人がそこの家には来ていて、年齢差も幅広くて。でも、そこで何かを掴んだというわけでもないんですよね。

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 そうそう。そのあと、マレーシアにも一ヶ月くらいいったんです。そういうことをしていると、さすがに何かしないといけないなと思い、だからといって日本に戻っても、そういうふうにブラブラしてきた人間がすぐに働ける場所というのは新聞配達くらいしか思いつかなくて、新大久保に住み込みのところを見つけて転がり込むんですよね」

 
その一年後、高橋さんは靴学校に入学することになる。おさむさんは、三人きょうだいの真ん中。年のちかい兄と妹がいる。父親は「ふつうのサラリーマン」。驚いたことに、カナダに行く前にも新聞配達をし、ジミチに留学資金を工面していたことだ。およそ百万円。えらいわ!!

「高校を卒業した一年後には家を出ていたんです。所在地は知らせていたので、ソフトな家出というか。理由? 大学受験をするわけでもないし、居づらかったんでしょうね。
 ボク、こう見えてラグビー部だったんです。数人は、部員で大学に行かないのがいたのかなぁ。当時は体重も60ちょっとくらいあって。強いチームではなかったんですが、スクラムハーフでした。
 めがね? あ、試合のとき。激しくぶつかりますね。どうしていたんだろう。いまほどは悪くなかったのかな…。

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 友達は、少なかったかな。そうそう。高校のときにひとり、すごく仲のいいのがいて、会社につれていってもらったことがあったんですよ。『オレ、大学卒業したら、ここに行くんだ』と言われて。そのあと、どうなったのか。同級生に聞いても、誰も消息を知らなくて、連絡ができずにいるんですけど……まあ、そんな感じで、20代前半をだらしなく過ごしたんですよね」

──靴の学校に入ってからはずっと靴の仕事を

「そうですね。先生が手本を見せてくれるのを見て、入ってくる感じがありましたね。楽しいなって。学校ではあるんですが、数学の勉強とかとは違って、興味があるものは覚えたりできるという安心感がありました。
 授業は靴に関わることばかりで、理論的なことから実習まで。木型はこういうふうにして計算していくのだということだとか。そういえば、数学が苦手なのに、計算もありましたね。けっこう、みっちりと(笑)」

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 応接室を兼ねた部屋でインタビューをしていると、コンコンコン。革を叩く音がする。隣り合わせのスペースで、パートナーのひろみさんが作業している。L字型に靴底を担当するおさむさんの作業場と、ひろみさんのミシン部屋とは間仕切りなしにつながっている。飼い猫のタビが定位置らしき境目の処に寝そべっている。

「生業としてということなら、もう学校に入学したときにはこれだと決めていたと思います。ただ、学校の一次試験で落ちているんですよね。
 せっかくやりたいものが見つかったのにとガッカリしていたんです。で、帰ろうとしたら、先生に呼び止められて、『二次試験があるから、やる気があるならまた来なさい。それから、その髭は剃ったほうがいいよ』と言われたんですよね。当時も、髭と坊主頭で。二次で合格したあとにその先生から『印象をよくすることも大事だよ』と言われましたね」

──靴をつくる面白さって何ですか?

「うーん。イッパイあるんですけど。たとえば、最近アサヤマさんみたいな足(男性にしては極端に小さい)を見ると楽しくてしょうがない。こんなにいろんな足があるとは思ってなかったので。
 五年間、婦人靴の会社に勤めていたときには、オーダーメイドではあるんですが、ボクはお客さんの足を直接は目にしていなかったんですよ。だから、最初は単純な好奇心ですよね。こんなに丸いんだ、とか。細長いとか。大きいというのも面白いですし。あとは、堅さ。骨の形がちょっと変わっている。ふつうはないところに飛び出していたりする人がいたりするんですよね。ちょっと押してみたくなるような膨らみがあって、聞くと『いつも当たって痛い』と言われる。

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 骨の形は遺伝するみたいで、『うちのお婆ちゃんにも同じところに骨のでっぱりがあった』と言うひともおられたり、小さなお子さんを連れてこられたお母さんとが、(大小のちがいはあっても)そっくりだったり」

──足は、親子で似ますか?

「もしかすると顔よりも似るんじゃないかなぁ。ボクはそんな気がしていますね。そこはまだ勉強していないので、目にしてきたデータによるものですけど。でも千足くらいは見てきたかな」

──足を見るのは楽しい?

「はい。ハハハハ。ふつう見たりするものじゃないものが見られるという楽しさかなぁ。ナマの足、靴下を脱いだ足を見せてもらうということは、とくに初対面のひとの足を見るというのは通常はないですから」

f:id:waniwanio:20170825121521j:plain👆採寸するために台がきれいな絵で、映画「沈黙」を思い出し、ちょっとためらう


──言われてみたら足を測られるというのは、ちょっとドキドキするというか。おそらくワタシは人生初だったので。病院で治療を受けた以外、足をじっくり見られるというのもなかったし。

「とくに女性は嫌だろうなぁとは思うんです。でも、興味本位ではなくて、靴をつくる上で、どういう特徴があるのか見ておきたいんです」

「うずら」をはじめた最初の頃は、サンプルの靴を履いてもらい、靴の張り具合などを見て、木型のこの部分には3㍉たそう。セミオーダーだとそういうふうにしてやっていたそうだが、一度うまくいかなかったことがあり、以来セミオーダーの場合でも「計測は必須」としているそうだ。

──靴屋さんというのは皆さん、足を見るのが好きなものなんでしょうか?

「うーん。ほかのひとがどうなのかは聞いたことはないので(笑)。でも、ボクの先生だったひとは、足を見るのは好きだけど人には会いたくない。足だけ持ってきてくれたらいいのにと言ってましたね(笑)」

 

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──ほぼ一日をここで過ごすんですか?

「そうですが、外に出ていくこともけっこうあります。きのうは、舞踏を見に行ってました。靴学校の先生が関わっている舞踏の公演があるというので」

──高橋さんは、ゆったりとしゃべられますよね。ペースが一定しているので、ちょっと頑固なひとじゃないかなと?

「頑固というのはよく言われますね。とくに奥さんには」

 隣室から「頑固ですよぅ」と笑い声が聞こえた。

「どっちに似たのか? ああ……でも、どっちかというと母のような気がしますね。母方のお爺ちゃんが和菓子職人で、似ているとよく言われていました。早くに亡くなったので、ボクは会ったことはなかったんですが」

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──まわりと同じように大学には行かず、カナダに行ったりした時間の過ごし方にも、ある種の頑固さがありそうですね。

「うーん…。カナダに行こうとした頃は、やりたいことがなくて。これは不味いぞ。だから逆に、好きなことしかしないというふうに極端に走っていたのかもしれないですね。自分を試すというか。そういう時期って、いま思えば、まわりは大変だったんだろうなぁと。
 落ち着けたのは、これだというか。ひとに何か言われなくとも、これなら自主的にやっていけそうだな。そういうふうに、自分から進んでやってみたいと思ったのは初めてのことだったんですよね」

──新聞配達をやっていたときには?

「新聞配達は、いいところもあったんですけど、冬の寒い雨の日は、何でこんなことやっているんだろうと。当時はお小遣いと、朝晩の食事は出るという環境だったんですけど。ただ、すごい社会勉強にはなりました。新大久保という場所も、いまみたいに韓流じゃない無国籍な感じで、バイトの半分は韓国人。留学生で、学費を稼ぎながら大学に行っていたんだと思います。ボクとはくらべものにならない。みんなタフでしたよね。
 客引きのお姉さんも前を通ったら、いちおう誘ってくれたし。ひと目で、お金ない、とわかるだろうに(笑)。
 配達中、道に倒れているひとがいて、これは通報したほうがいいのかと迷う。そういうのが年に数回はありましたね。
 新大久保にしたのは、日本に帰ってきたときに、高校の友達を頼って飯田橋のお店を紹介してもらい、その店のおじさんがあちこち聞いてみてくれて、ここなら欠員があるからと。そうだ。いま思い出しました。ボク、そのときのお礼をしないままでした」

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 新聞配達は新大久保以前にも高校時代にアルバイトで体験していたという。おさむさんは会話の間、笑うときでも表情におおきな変化をみせない。声のトーン、リズムも一定していて職人さんらしい。だからといって気難しさぷんぷんというわけでもなく、問えば、その場で工具の使い方を実演。ワタシのような素人にもすごくわかりよい。靴学校で講師もしていると聞くと覗いてみたくなる。インタビューではなくルポだとそうしたうえで記事とするのだけど。
 うずらは二人のユニット。人を増やしていくという選択も将来的には? 問いかけに対して「任せるのが下手」と言い、人を雇うと倍仕事することになるからなあと。すかさず笑い声で「そうなんですよぉ」とひろみさんが同意する。

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 工房におじゃましてからすでに三時間が過ぎていた。インタビューを締める意味で、定番の3つの質問をしてみた。

──いちばん幼い記憶は何ですか?

「……前後がよくわからないんですが、三歳ぐらいのときに、近所の子供を蹴って、その子が鼻血を出している。ボクが、石でつくっていた公園みたいなものをぐじゃぐじゃにしたというので。その団地はベランダがせり出していて、そこに手をかけてドロップキックのようなことをした。それかな。
 そのあと、その子のお母さんがやってきて、ボクの母が怒られていた。似たようなことが続いたので、もうノイローゼになるかと思ったって、後に母が言っていましたね。
 もうひとつ、同じころ、団地のそばに川が流れていて、そこで遊ぶのが好きだったんです。遊んだ帰りに、お百姓さんが苗を植えたところにわざと踏み込んで足跡をつけながら登っていった。それも怒られた記憶ですね」

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──一番を答えずに、「いま二番目に大事なコトか、モノ」を教えてください。

「うーん。……靴かな」

──答えるのが早いですね(笑)。では最後。最近、ちょっとだけ嬉しかったことは?

「ちょっと? …そうだな、いま読んでいる本が面白いなぁ、ということですかね。読み終わるのが惜しい。考えもつかないようなお話なんですよね。『所有せざる人々』(ハヤカワ文庫)。アーシュラ・K・ル・グィンというひとのSFで。『ゲド戦記』を書いた人なんですけど、ゲド戦記の一冊目の『影との戦い』というのがいいんですよ。緻密な世界で、ウソっぽくない。
 ああ、あと、ご飯がうまく炊けたりするとそれもうれしいですよね。鉄鍋で炊いているんです。炊くのはボクが担当で、朝ご飯、ボクはパンだとすぐにお腹が空くので、必然的に(笑)」

 工房におさむさんが入るのは、朝8時過ぎ。9時半くらいから朝食。仕事を再開してから、午後1時くらいに昼食。さらに6時まで作業し、「晩御飯担当」なので、スーパーに買出し。キッチンでビールを飲みながらご飯をつくる。夜8時半頃にまた仕事にとりかかると深夜に及ぶこともしばしばだという。

「仕事虫なんです(笑)。時間だけだとブラック企業並みですが、嫌々やっているわけではないから、ラッキーだなと思いますね。お客さんから、お礼も言ってもらえるし」

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